スペシャルイベント 
 高橋明也さん

三菱一号館美術館「ラファエル前派の軌跡展」×ほぼ日の学校
「手仕事のたいせつさ 200年前をふり返る」

高橋明也さんの

プロフィール

この講座について

東京丸の内で開催された、ほぼ日の第4回「生活のたのしみ展」。その時期に、三菱一号館美術館で開催されていた「ラファエル前派の軌跡展」とほぼ日の学校がコラボしてミニトークセッションを行いました。「手仕事のたいせつさ」を唱えた美術批評家ジョン・ラスキンの思想がこの展覧会のひとつの基礎となっています。「生活のたのしみ展」にも通じるそのラスキンの思いについて、ほぼ日の学校長河野と三菱一号館美術館館長の高橋明也さんが語り合いました。200年前をふり返って、今を見つめなおす。そんなきっかけになる対談です。

講義ノート

河野:お待たせいたしました。それではこれから三菱一号館美術館館長の高橋さんと私、ほぼ日の学校長、河野でございますが、ミニトークセッションを始めていきたいと思います。特になにかタイトルを大げさに付けているわけじゃないんですけれども、今、ちょうど三菱一号館美術館で開催されている「ラファエル前派の軌跡展」という展覧会と、ほぼ日が、ちょうどここ(丸の内)を舞台にして始めました「第4回生活のたのしみ展」、このコラボ企画として、今回トークをお願いしました。どうぞよろしくお願いいたします。

高橋:よろしくお願いいたします、どうも。こんにちは、高橋です。今日はちょっと河野さんにリードしてもらって、進めようかと思いますので、よろしくお願いします。

河野:今日、ここに来られてみて、人出というか、人の多さ。

高橋:そうですね、ちょっとビックリします。なんかいつものこの辺の方と、みんな、違う感じの方が多くて。

河野:きょう最初に歩いたときは、セキュリティカードを首から下げた人が多いので、この丸の内界隈のお勤めの方が、お昼休みに来ているんだなと思っていたんですけど。それが今は入れ替わって、ほぼ日の昔からのファンの方も多いですし、「たのしみ展」のために初めて来られた方もいらっしゃると思いますし、いつもとはちょっと変わっていると思うんです。今、前に座っておられる方は、皆さん、美術館のそうとうリピーターだったりして、ちょっとそれを恐れているんですけど(笑)。

高橋:そうなんですか? いや、河野さんのファンの方じゃないんですか?

河野:いや、いや、それはないです。

高橋:じゃないんですか。

河野:やっぱり美術館によくいらしている方でしょうか。頷いていただけます?

高橋:そうですか。ありがとうございます。すみません。

河野:やっぱりね。こういうお客さまが来られていますね。館長というのは、なかなかお客さんと会う機会は、あるにはあるでしょうけども‥‥

高橋:そうですね、当館にはサポーター制度があるので、そのときにちょっとトークしたりして、軽いお話をしたりすることがありますけど、でも、そんなに長時間話すことはあんまりないです。今日はそうすると、皆さんのお顔をリコグナイズ(認識)するという機会なので。

河野:私は「ラファエル前派の軌跡展」の展覧会の初日だったと思うんです、3月15日に伺って、実はちょっと地味な展覧会じゃないかなと思って行ったんです。だから割とゆったり見られる、そういうイメージで入ったところ、あにはからんや大変たくさんの方が来られているということに、まず驚いた。それから、やっぱり中身がすごく充実していて、見応えがあるなということを思いました。

そのラファエル前派という美術家たちをリードした、ジョン・ラスキンという人の生誕200年を記念して、この展覧会が催されたわけですが、ほかにも特にこれを今の時期にやりたいと思われた理由は?

高橋:まず、三菱一号館は、ジョサイア・コンドルという、明治のころのお雇い外国人が設計した建物です。日本中に結構、彼の作品はありますけれども、一号館はその代表作の一つなので、やっぱりイギリスのDNAを入れた展覧会は定期的にやっていこうというのが、最初からの方針でした。今までもいくつか、「バーン=ジョーンズ展」だとか、「ザ・ビューティフル」あるいは「ジュリア・マーガレット・キャメロン展」など、イギリス関係の展覧会をやってきたわけです。

もう一つ、ビジネス的に見ると、三菱一号館美術館って、会社の一部ですからほかの美術館とは違って、ある程度収益も考えてやらなきゃいけないので、お客さんにも一定の数は入っていただかないといけないということがあります。その点から言うと、実はラファエル前派って、コアなファンがずうっといらっしゃるんですよ。それで、やれば必ず一定の方がいらっしゃってくれるというのがあるので、ある意味すごく安心感があるテーマなんです。

ただ、今回は不思議に、一定数というよりそれ以上に、最初からお客さんが見えているので、われわれ中の人たちもちょっとビックリしています。あれ、なんでこんなに入るんだろうって、実はサプライズだったんです。おそらく東京のほかの美術館で、ラファエル前派についてのなかなか大きい展覧会は開いていないということもありますし、いろんな理由があるのかなと思います。もう一つは、この丸の内の、この東京駅のそばの煉瓦造りの美術館というのは、かなり皆さんに認識されて、もうリピーターというか、ベースの一号館を好きでいてくださる方というのが、かなり安定した数いらっしゃるというのが、理由としてあるのかなと思うんです。

三菱一号館美術館は2010年にオープンしましたよね。「マネとモダン・パリ」というタイトルの展覧会を開いてから、最初の何年かは、皆さんに認識してもらわなきゃいけないので、かなり無理してというか、中の人たちも一生懸命がんばってやってきたところがあるんですけども、ここ2、3年は、おかげさまで日本の中だけじゃなくて、国際的にも、皆さんに認知されて、あそこの美術館でやるなら、たぶんいいものをやるだろうという、いいレピュテーション(評判)が広まっているんじゃないかなと、いいほうに解釈しているんです。

河野:たぶん一つの美術展を見て、関心がずっとつながっていくと思うので、あれもこれもと目先が変わりすぎるよりも、深めていってもらえる美術館があるというのは、とてもいいんじゃないでしょうか。きっとそういう方が、少しずつかもしれないけど、どんどん増えて、今回は驚くほどたくさん来られているという結果につながっているんじゃないかなと思います。

ジョン・ラスキンとその影響

高橋:ラファエル前派展の話をすると、さっきラスキンの話をちょっといただきましたけど、個人的にはほんとはラスキンを中心にした展覧会をしたかったんです。「ジョン・ラスキンとその周辺」みたいな展覧会をやりたかったんです。それはなぜかというと、ラスキンという人が、実はヴィクトリア女王と同じ年に生まれて、1年違いで亡くなっているので、19世紀の最も19世紀的な部分を生きた人であり、影響力もすごくあった。

だからフランスでも、例えば小説家のマルセル・プルーストなんかも、ラスキンの大ファンだったし、イギリス国内だけに留まらず、ヨーロッパ中に影響があった人ですし、社会思想家としても、すばらしいいろんなことをやっていました。ナショナル・トラストなどイギリスの自然保護運動のきっかけもやっぱりラスキンがかかわっているし、労働運動とかさまざまなところで、ラスキンという人は仕事をした人です。さらに言うと、次に一号館で、マリアノ・フォルチュニというヴェネツィアのスペイン人デザイナーの展覧会をやりますけども、そこにもラスキンの影響があります。ジョン・ラスキンが、『The Stones of Venice』(1853年、『ヴェネツィアの石』)という非常に重要な本を書いて、「古い遺跡を保存しなきゃいけない」、「古い建築というのはヨーロッパ人の魂なんだから、それをきっちり保存しよう」と、ヴェネツィアの町の保護運動にもずいぶんかかわって、それによってヴェネツィアが覚醒して、国際的な観光都市に、もう一回なっていった。それもラスキンの一つ大きな功績なんです。

そんなこともあって、ラスキン中心の展覧会にできないかなと思って。実は去年、まさにラスキンの生誕200年の展覧会というのをヴェネツィアでやったんです。私もそれを見ましたが、すばらしかった。今回の展覧会でも展示されていますけども、ラスキンのいろんな、フランスの町のこういう(スケッチや)、スイスの山岳風景だとか、自然のスケッチとか、それからフランスの大聖堂の彫刻の模写だとか、すごく作品をいっぱいつくっていて、大量のものを見られたので、すばらしいなと思ったんです。

ですから、もう少しこのラスキンの部分を膨らませてやりたかったんだけども、それだとたぶんお客さんは入らないだろうなというのが現実の予想でした。ラファエル前派まで広げれば、19世紀全部カバーできるので、より一般の方がたも来られるんだろうということでこういうことになったんですけど、たぶん間違っていない選択だったかなと思います。

河野:たまたまなんですが、私もラスキンという名前は、ほんとに小さいころから、耳になじみのある人ではあったんです、個人的なことで。

けれども、今の時代にラスキンと言っても、ほんとに知っている人が少ないということも、一方でよく感じていたので、ラスキン生誕200年でこの展覧会をやるということ自体に、そうとうの勇気と冒険性とあれやこれやを感じていたんですが、その背景に館長のこういう思いがあったのかというのは、今日伺って、あらためて驚いています。

展示されているラスキンのデッサンというのは、私も見るのが初めてだったんですが、小さいころに、すでに地質学者とか鉱物学者になりたいと思っていたというラスキンだけに、山のことや地殻構造みたいなものにまで関心を持って、細かに丹念に描いている。それから、ターナーの絵を大変に高く評価したというラスキンだけに(それは独特なラスキンのターナー評価なので、ターナー自身が、それを100%良しとしていたかどうかは、なかなか微妙だなと思うんですけれども)、ターナーの絵から見えてくる、自然の奥から人間の魂に訴えかけてくる何かというものを、大きく強く批評の中に取り込もうとしたラスキンらしい、ある種の彼の精神性が、若いときからあらわれているデッサンだと思いました。こういう手づくりの装飾に対して関心を持っているラスキンというのも、さきほど館長がちょっとおっしゃっていましたが、後年のラスキンの社会思想家としての、いろいろな活動にもつながっていくような関心の持ち方にもなっている。それはまたあとで詳しくお話を聞いていきたいと思うんですけども、この素描があれだけの点数並んでいるというのは衝撃だったですね。たぶんヴェネツィアのときも、それくらい並んでいたわけですね。

高橋:ヴェネツィアのときもすごかったですね。ほんとに何百点もあったので、圧倒されました。

巻貝なんかありますよね、こういう。ただリアルに描くというだけじゃなくて、やっぱりセンスがきちっとあるので、単なるスケッチというだけではなく、それなりのラスキンの表現というのが入ったものじゃないかと思います。こういうものが、もうえらい数並んでいましたから、ほんとに。

特に日本人って、自然なものに対する関心というか、センスが昔からあるんですよね。ですから、たぶん知識もなく、パッと見ただけで、こういうものに取り込まれていくという部分があると思います。ヨーロッパの中心であるラテン系の文化以上に、イギリスや北方諸国、もうちょっと北のスカンジナヴィアだとか、フィンランドでは、自然に対する感性が非常に豊かだと思うので、それをあらためてラスキンの作品を見ると認識するんです。ターナーなんかも、やっぱりそういう部分がすごく強いじゃないですか。

河野:こちらがターナーの絵ですね。(ターナー《カレの砂浜——引き潮時の餌採り》1830年)

高橋:それにより、明治期にイギリスへ行った夏目漱石なんかも、非常にターナーに親近感を持ったわけで、それまでの日本の美術が持っていた自然に対するアプローチというのと、どこか共通したものがやっぱりあると思うんです。

ラテン系の文化の、非常に人間中心の確固たる、まさに人間の体と思想というのが中心になった文化と、この自然というものに自分がむしろ溶解していくような形で、自然に溶け込んでいくようなものは全然違うと思うんですけど、日本人がもとから持っているものというのは、この自然というものに自分が溶け込んでいく感覚。四季の移ろいを感じながら観賞していくという、そういうものに、よりシンパシーを感じるんじゃないかなって、私も六十何年生きてきて、あらためて最近そう思うんです。いかがですか?私と同じ年なんですよ、河野さんって、実は。

河野:そうですね、このあいだ、お会いしたときは、私のことを、ちょっと先輩だと思ってくださって、非常に敬意を込めてお話しいただいたんですけど、今日は同じ年だとばれた瞬間に急にフラットになってしまいました(笑)。

でも、日本人になじみのある画風であったり、ラスキンの影響を受けてそこから巣立っていった人たちが、どういうメンバーで、どういうことを考えたかということや、今日催されている「生活のたのしみ展」にもつながってくる日本の手づくりの文化とか民芸運動なんかにもつながる、アーツ・アンド・クラフツ運動を主導していくウィリアム・モリスみたいな人がラスキンの影響下にあるということなどが、日本人とのかかわりも非常に深いという重要なところを今回の展覧会では、見せてくれているなと思います。そっちのほうまで一足飛びになるんじゃなくて、まずタイトルにある「ラファエル前派」。

ラファエルなんですよね、ここはいつまでも。本物はラファエロになっているんですけど、これはやっぱり翻訳の関係で、こっちが定着しちゃったわけですね、ラファエル前派。

高橋:そうですね。英語っぽく出しているという、「っぽく」ですね。

河野:そうなんですよね。ラファエロとラファエルと、どうなんだよと思わなくもないんですけど、ラファエル前派。この人たちは、どういう人たちで、どういう背景があったから、ラスキンの思想に共鳴して、ブラザーフッド(同盟)というものを結成し、新しい動きをつくろうとしたんでしょうか。

高橋:ご存知のように、イギリスだけじゃなくヨーロッパ全土って、いわゆるアカデミーというものが厳然とあって、特にフランスは、ルイ14世以来、それはすごく強かった。その中で、どういうふうに絵画を描くのがベストなのかという、ヒエラルキーをきっちり定義してつくっちゃったわけです。ルネサンスの三大巨匠のミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ。こういう人たちがトップにいて、その中でもラファエル。ラファエロですよね。イタリア語で言うラファエッロが最高の地位にあって、これは揺るぎのないベストなアーティストであると、全部定義づけしちゃったわけです。

これは、フランスでの話ですけども、いろんな過去の有名作家を全部点数制にしたわけです。それで点数を一番獲得したのが、ラファエロ。ですから、もうラファエロはベストなアーティスト。ほかの人たちも、この人は19点だ、18点だなんていう、まるで進学塾みたいな仕組みをつくったわけです。

それで、美術家を目指す人たちも、みんなそれに向かって努力することを強制されたんだけども、あるときに、なんかそんなのバカバカしいじゃないのって言い出した人たちがいるわけです。その一人がラスキン。イギリスは、やっぱりラスキンだったので、ラスキン。こんなラファエロより、もっとそれより前の作家のほうが、おもしろいんじゃないのっていうようなことを考えたわけです。

じゃあ、それ、誰?じゃあ、どういう人たちなの?というと、ラファエロが非常に完成形だとすれば、それ以前で、もっと未完成な状態で、なんだけども、非常に自分たちのセンシビリティを存分に出した人たち。ちょっと1世代、2世代前の画家たちです。そういう画家たちのほうが、実はすばらしいんじゃないのということを言いだして、それがだんだんに共感を得るようになったんです。それで、若い画家たちがブラザーフッドを組んだ。それがラファエル前派の人たちなんです。

その根底は何かというと、自然に寄り添うということ。ラファエロがいいというふうに考えて、ラファエロを真似していたんじゃ、意味ないんじゃないの?だって、それはもうラファエロが描いちゃったものですから。それをコピーしても、それはいわゆるマニエリスムというやつなんです。できたものをよしとして、それをコピーしていく。それは意味ないと。そうじゃなくて、その原点に帰るというのが、ラファエル前派なんです。

ただ、今回の展覧会をご覧になってもわかるかと思うんですけども、そのやり方がいろいろあって、「自然に則せよ」と言うんだけども、じゃあ、ロセッティだとか、バーン=ジョーンズたちの作風が、ほんとに自然に寄り添っているの?というのは、また別問題で、ラスキン自身は結構気にいらない部分がいっぱいあったわけです。そして結果的にうまくいかなくなっちゃったりしたわけです。若い画家たちの思い込みと、ラスキンの立ち位置は違うので、そう単純にはいかない。やっぱりアーティストたちの世界ですよね。

河野:今、ちょっとお話に出ましたけど、若い画家たちが、ラスキンの影響下に糾合する。集まるんですけれども、なかなかラスキンの考え方と、若い画家たちの、その後の歩んでいくコースとが、ピッタリ寄り添っているわけではなく、どこかで、やっぱり蜜月が終わります。その蜜月の終わる理由に、きわめて人間臭い、ラスキンの奥さんとミレイという画家が、旅行中に仲良くなっちゃって、ちょっと怪しくなって、それが理由でラスキンとミレイが袂を分かつとか、なんかほんとに人間ドラマもあるという。そういうことを含めて、なかなかグループとして見るとおもしろいところがありますね。

高橋:そうそう。だからその辺が、また結構、たぶん人気がある理由じゃないかなって、実は思うんです。週刊誌っぽいところ、週刊誌ネタみたいなところがいっぱいあって、その辺の裏話もなかなかおもしろい人たちなので。

河野:そうですよね。1枚の絵(ミレイ《滝》1853年)の右端に、女性の姿(ラスキン夫人)が描き込まれているとか、「あ!それがポイントなのか!」というような見どころがあったりしますよね。

高橋:そうですね。また、スタイルも、ロセッティ、バーン=ジョーンズ始め、日本人が昔からなじんでいるような、イラスト的な、まさに少女漫画みたいな感じが、すごく親近感を呼ぶというところもあるんじゃないですかね。

河野:なるほどね。時代としては、さっき、館長が、ラスキンという人とヴィクトリア女王とは同じ年に生まれて、1年違いの没年であるというお話をされましたが、ヴィクトリア朝というのは、一般的には、大英帝国が繁栄の極みを謳歌できた、そういう時代だと思うんです。産業革命があって、技術革新が進んで、工場生産というのも軌道に乗って、ロンドンという大都市がさらに急成長していくという。

その一方で、農村から人が流出したり、農村の自然が荒廃していったりとか、そういうことも背景にある。自然発見というか、自然をあらためて見直そうという、詩人で言えば、ワーズワースとか、そういう人たちのアプローチと、ラスキンの絵画における自然重視と、その辺もつながっているというふうに考えていいんでしょうかね。

高橋:そうですよね。やっぱりイギリス文学なんかを概観しても、『嵐が丘』なんかは、自然というのがすごくバックにあるじゃないですか。主人公の人たちを見ていても、必ずヒースの丘が続いていたりとか、そういうイメージがワァーと湧いてくるし、その辺って、やっぱり大陸のフランス文学なんかとはちょっと違うなといつも思うんです。必ず何かすごく映像的というか、映画でも、すごく自然描写が多いなと思います。フランスのものだと、主人公の心理がかなりクローズアップされたり、女性、男性が、まずスクリーンの中でバァーとクローズアップされて、接写で結構厳しい会話をお互いにしていって、そのテンポというのがいつも主調になっているななんて思うんです。ゴダールなどの映画を見ると、やっぱりそう思います。でも、イギリスのものって、そうじゃないなといろんなものを見ていて思います。より、総合的というか、見ているほうも感受性がいろんなものに広げる必要があって、あんまり人間だけにフォーカスしていても、イギリスのものは理解できないだろうなと思うときがあります。

人間が幸せになる働き方

河野:なるほどね。ラスキンが晩年は、イギリスの湖水地方と言われるところに居を構えるんですけれども、人間の働き方や、産業革命以降の機械化であるとか、何かものをつくること、分業すること、そこにパートとして人間が仕事をするというようなことを都市生活者として身近に見ながら、もっともっと人間が幸せになっていくようなちがう働き方とか、仕事の仕方というのがあるんじゃなかろうかと、彼はだんだん感じ始めたからなのではないでしょうか。そういうときに、テーマとしてターナーの絵が飛び込んできて、ここに描かれたような自然というのが、今の社会の中に現われ始めたいろいろな課題というか、矛盾というか、問題を解決してくれるヒントや希望の証に思えたんじゃないかなと展覧会を見ながら思いました。

高橋:フランスとの比較を言うと、やっぱりラテン系の国って都市文化なんです。パリなんか、本当に町として小さいですよね。空港からずっと行っても、あるところまで、ずうっと何もない。田園が続いて、突然に城壁みたいな場所から、縦貫道路になっていますけど、そこから突然今度は町になるというような構造です。ロンドンなんかは延々丘が続いて、そういう田舎町が続いて、いつの間にか町になる。僕には、ロンドンもすごく田舎っぽく見えます。公園が広いということもあるし、いわゆるカントリーの文化というのが、アングロサクソンの文化の一番オリジナルなのかなと思わせるものがあり、まさに湖水地方のお話が出ましたけど、湖水地方みたいなところがイギリス人の心の拠り所なのかなって時どき思うんですが、フランス人はそういうことはないと思うんです。

コート・ダジュールみたいなリゾートはあるけれども、あれだって、もう19世紀にできた人工的なゾーンです。フランスにはひとつひとつの町というのがかっちりあって、そこが中心だし、その真ん中には、一昨日からのニュースを聞いて私は、もうほんとに泣きそうになっている、あのノートルダムみたいな大聖堂が真ん中にあって都市生活というのがかっちりある、そういう文化です。

ただ、それをつないでいる場所やものがあるとすれば、きょうのテーマの手仕事ですよね。手仕事だけは、やっぱりヨーロッパの文化の絶対になくならない、一つの常にそこに立ち返っていく大きな要素かなと思います。今回、ノートルダムを、どうやって再建するのかという話が出ていると思うんですけど、突然マクロンが5年間で新しい材料を使ってやるとか言うから、ビックリしちゃいますよね。1000億円ぐらい寄付金が集まっているらしいんですけど、そんなことを言い出したら、「寄付金返せ」って言う人が出てくるんじゃないかと。もとのオリジナルな木の部分の工法に戻って、きちっと再建しようという説の人が必ず出てくると思いますし。それはイギリスだって、同じですよね。

河野:なるほど。それで、今はフランスで人を集めようと思ったら、そういう腕を持った人たち、あるいは素材は、調達できるわけですね。

高橋:そうですね。まだちゃんとみんな、存続しています。

河野:なるほど。日本では、なかなか大工さんであるとか、昔ながらの技を持った人を集めようと思っても、難しくなっている。

高橋:ほんとに難しくなっている。

一号館でも、前2013年でしたっけ?「KATAGAMI Style」という型紙の展覧会をやったんです。(2012年開催です。)伊勢型紙のね。伊勢型紙が、ずっと江戸時代末期から紙屑みたいに捨てられていたのを、ヨーロッパの人たちがみんな、持って保存していた。そして、そこから影響を受けて、ヨーロッパのアーティストが作品をつくっていたということが、最近になって非常に明らかになってきて、その展覧会をしてみようかというのでやったんです。

でも、実際に伊勢の現地へ行くと、伊勢型紙を彫っている人がもう数人しかいないという状況で、いつ途絶えてもおかしくない。人間国宝みたいな方もいらっしゃるんですけれども、やっぱり生活として成り立たなくなってきている、なんていう話も聞いて、すごく気持ちが重くなっちゃったんです。それをうまく活用できないのかなって、ほんとにそう思います。あらゆる分野で、そういうことが起きているんじゃないんですかね。

河野:なるほどね。でも、そういうお話に移ったので、またラスキンのほうに戻りながら、もうちょっと続けたいと思います。ラスキンの思想の一部、一部というか根幹かもしれないんですが、それを発展的に受け継いだのが、ウィリアム・モリスという人です。ちょっとモリスについて、お話しいただけるでしょうか。

ラスキンからモリスへメディアの役割

高橋:モリスは、今回の展覧会でも椅子とか、タペストリーとか、出ています。たぶん日本の方にも、モリスの名前は知らないけど、こういうパターンデザインは大好きという方は、ずいぶんいらっしゃると思うんです。モリスも実際、展覧会をやると、グッズが結構飛ぶように売れて、皆さんに非常に親しまれているというのはよくわかります。

このタペストリーなんかも、典型かもしれませんけども、中世風の大変平面的なパターンをつくって構成している。考えてみると、真ん中に人物(これは、ポーモーナという、ギリシャ・ローマ神話の女神)はいて、こういうところではラテンの文化を入れながらも、平面のまさに二次元パターンをつくっていくというのは、ケルトとか本来の北ヨーロッパのオリジナルな感覚というのを、存分に出しているものです。こういう縁取りの花のパターンなんかも、中世のもののパターンを彼なりにもう一度再構成してやっていて、まさに伝統と革新というのがピッタリ嵌まるのかなという気がします。

ちょうど、熱海のMOA美術館で、今、「URUSHI 伝統と革新」という漆の展覧会をやっています。私の知り合いで、芸大のサッカー部で一緒だった室瀬和美さんという、若くして58歳くらいで人間国宝になっちゃったという大変な作家が中心になってやっています。こういうモリスの作品なんかを見ると、まさに蒔絵なんかで、昔の平安時代の技法を取り入れながら、また新しいデザインをつくっているという作家たちのことを思い出します。時代から言えば、たぶんセザンヌだとか、ゴッホも亡くなったあとですけど、そういうときにつくっているわけです。そこから何年かすると、それこそキュビスムが出てくるという。

だから横並びで見てみると、これ時代錯誤かな、なんて思わせるところもある。じゃあ、この隣に、ピカソのキュビスムが並ぶかって。全然違う世界ですよね。だけども、このモリスの感性は、それだけ見る人の心を捉えるというか、もう圧倒的にモリスは、人気がありますから。それは本国でもそうですし、日本でもそうです。それはなぜなんだろうなって思わせるものがあります。

装飾というものと、いわゆるファインアートというものを比較すると、ヨーロッパでは明らかに、さっき言ったみたいに、ラファエロというものを頂点として、絵画が最高の芸術です。その次に彫刻があって、それから装飾美術というのがある。ジャンルもはっきりとそういうふうに優劣が付けられていたわけです。でも、それこそラファエロ以前、ルネサンス以前には、そういう優劣というものは存在しなくて、全部横並びでやられていたわけで、日本はもともとそうです。絵画がトップで、じゃあ、漆をつくる工芸作家がその下なのか、なんていうのはまったくなかったので、そういうところを考えても、とりわけ日本人には非常に受け入れられる世界だと思います。

河野:今おっしゃったように、ややもすると大芸術というものと、生活周りのものとでは、ヒエラルキーに差をつけたりする傾向が、ヨーロッパでもどこでもあったと思うんです。まさにアーツ・アンド・クラフツは、アーツという大芸術と小芸術のクラフトを並列させます。並べるというより、横断的につないで、もう一回呼び覚ましながら、つくり手の幸福感というか、参加感というか、モノをつくる喜びを見直そうとしたところが、モリスの果たした大きな役割だと思うんです。そして、私が非常に関心を持っているのは、やっぱりそれを支持した当時の一般の人たちがいただろうということです。

それまでの「これぞ芸術でござい」という題材や描き方に飽き足りない新しい美術のファンが生まれていて、そういう人たちに訴える何かがあったから、ラファエル前派というグループがそれに呼応したと思うし、モリスのこういう考え方も、そういうお客さんとの出会いとか、つながりがないと、なかなか展開しなかったんじゃないかなと思っています。また、そういうアイデアが生まれてくるのと同時に、お客さんと彼らをつなげるところに、誰がいたのかな、と。

私はもともとが編集者なので、作家と読者のあいだをつなぐ編集者のように、美術のつくり手と顧客とのあいだに、画商とか、画廊とか、あるいは批評家とか、どういう人がいたのか。誰がそうした気運をつくったのかなということに興味があるんです。

高橋:この時代、1850年代以降は、画商さんもそうだし、プロモーションの人もそうですが、まさに雑誌ですよ。特に1880年代あたりから、いろんな雑誌が出るんです。The Studioだとか、有名な、今でも続くような雑誌がいっぱいあるんですけど、まず、その前提として、写真が19世紀の半ばにちゃんと商業化され、一般の人たちもどんどんカメラを持てるような時代になります。その写真製版の技術ができて、きれいな写真が雑誌に載るようになる。ですから、まさに今SNSでそれぞれ写真をやり取りしたりするような、それに似たような革命的な時代です。かなり安い値段で、簡単に雑誌が手に入るので、どんどんいろんなイメージを、みんなが見られることになったんです。

日本でも有名なのは、Le Japon artistique(《藝術の日本》)という、ジークフリート・ビングというドイツ人の人がつくって、英語版、フランス語版、ドイツ語版とか国際版に仕立てて、日本の美術をさんざん紹介する。それを「あ!こんなにおもしろい」って、アーティストたちが見て、自分の作品に取り入れているわけです。

河野:あのジャポニスムも、ブームをつくったのは、そういうメディアが果たした役割が非常に大きいということですね。

高橋:そうです。それはものすごく大きいです。実物はもちろんどんどん入ってくるけども、それ以前に雑誌が果たしたそういう役割というのは凄まじいものがありました。そこのところは、まだ体系的に研究されたり、展覧会になったりしていないんですけど。でも、それは今、皆さんがインターネットで見るような、そういうことですよね。情報量としてそれ以前と格段の差が出てきた時代なので、みんなが自分の好きなものをどんどん選択して見られるようになったんです。

河野:そうなんですね。絵を展示する場所も増えたわけですかね、そのころから。

高橋:そうです。

河野:限られた人たちが個人所有していたもの、限られた人たちしか見られなかった絵画が一般にも見られるようになり、また絵を描いている人たちのサークルが広がったということも大きいんでしょうね。

高橋:そうですね。それ以前にも、細々ですけど、16、7世紀ぐらいから、画商さんというのはいましたけど、それは当然顧客が限られていました。王侯貴族とか、ブルジョワ市民だけの決まった人たちのあいだだけで、いろんなもの(絵画)がやり取りされていて、なかなか一般の人たちがそれを目にする機会はなかったんです。

だから逆に日本のほうが、民主的というか、緩やかだったのかもしれません。絵草紙を、みんなが見たり、江戸時代では町に行くと、露店の版画屋さんなんかがあって、浮世絵版画はそこで買えたなんていうことがあって、意外に日本のそういう庶民文化というのは発達して、高度なものがあったんじゃないかなと思うんです。

河野:たぶん今、雑誌もそういう影響力って、なかなか持てないんですけれども、代わって今は、インスタグラムなどが流通するという、新しいメディアの時代になってきています。当然そこに違う評価やニーズなども生まれていくと思うんですよ。

美術館も最近は、写真を撮ることに対して、非常に寛容になってきて、私は個人的にはいいことだなと思っています。

高橋:だから割とうちは率先して、今そういうことをやっていますけど、ただ問題は、やっぱりカシャ、カシャって、あの音です。あれはなんとかならないかなと思うんですけども。情けないことに、日本だけじゃないですか、あのカシャカシャ音を出すのは。それは盗撮を避けるためというメチャメチャに情けない理由なので、どうにかならないかなと思う。あれがなければ、まだね。

あの音があると、せっかく見ているのでああいうのはやめてくれ、というクレームも出るのでちょっと難しいんですけど、海外の展覧会は、今は完全にフリーですね、撮影に関して。それを、どんどんどんどんSNSに上げていってくれて、どんどん情報を拡散してくれている。今や海外の美術館は、そういう方向性に完全に舵を切ったと思います。昔、僕が勤めていたオルセー美術館では一時期撮影禁止にしたことがあるんです。結局、それも何年かでやめちゃって、今はまた撮影を許可しています。

積極的なところでは、アメリカの美術館なんかだと、美術館側が全部展覧会の撮影をして、それをYoutubeなどに上げて、美術展行かなくても、中がある程度わかるというようなことを美術館側が率先してやっている。それはそれで、どういうふうになっていくのか関心がありますけど、それによって、「じゃあ、もうスマホで見たから、行くのやめよう」という人もいないんじゃないかと思うので、悪くないことかなと思うんです。

あと、Amazonだったか、Googleだったか、世界中の絵を全部記録していこうっていうプロジェクトをずっとやっていますよね。それだと、モネならモネ、パッとやると、モネの全作品がネット上で見られるなんていうことを目指しているんだと思うんですけど、それで見たからもういいやっていうふうになっちゃうのかというと、9割ぐらいの人はそうかもしれませんよね。でも、そうじゃない人もたぶんいると思うので、それはそれで必要なことなのかなと思っています。

200年前から今を見つめ直す

河野:なるほどね。またちょっと手仕事の話に戻りたいと思うんですが、ラスキンにしても、モリスにしても、当時の世の中が、だんだんと分業に走っていく中で、職人が一つの仕事をトータルでやり通すという手仕事を再評価して、そこから中世に戻れという主張になったと理解しています。一般の人たちも、工業製品とは違う、手仕事を通した何か別の付加価値を感じて、それを支持したということが、とても大きかったんだろうなと。

社会全体は、どうしても工業製品、大量生産のほうに傾いていくわけですが、歴史もそのとおりなんですけど、一方で、働き手の側にも、それを受け取る側のほうにも、それに流されてしまうのはどうなのか、と100%そっちに傾ききれない余地が保たれてきている。そういう秘密もあるのかなというふうに思うんです。

高橋:産業革命のときに、いわゆる打ち壊しなんかがあって、労働者たちが機械を壊したり、極端なリアクションをとる時期ありましたけど、手仕事を復活させるというのにも、それに近いようなすごく極端な動きもあったんです。同時期にヨーロッパ各地でもいろんな動きがあって、工業生産品というものを、手仕事となんとかうまく結びつけて、新しいテクニックやテクノロジーを使いながら、次の世代のものができないかとか、そういうトライアルをずいぶんしているんです。その中では、モリスたちのやり方というのは、かなり復古主義的なものが強かったかなとは思います。

河野:ただ、モリスは、希少なものを残せと提唱するだけに終わらず、それを商業化するプロデューサーとしての力を持っていた。それがすごいなと思います。今、日本の中でもこれを残しておきたいという希少な技がいっぱいあると思うんですが、それをどういうふうに今の人たちの、「もっといい生活を」とか、「もっといいものに出会いたい」という気持ちにつなげていくのか、その橋渡し役の必要性を、あらためて感じます。

高橋:そうですね。自分の話になっちゃいますけど、私、東京に実家があるんですが、親がここ何年かで二人とも亡くなったものだから、ずうっとほっぽってあったんです。それを片付けなきゃいけなくて整理したんですけど、廃棄物だけでも20トンぐらい出て、写真だけで4万点あったし、親が教員をしていたものですから、書籍だけでも3000冊ぐらい。なんとか処分したんですけど、古い家具もずいぶんあって、りっぱな家具もあったから、なんとか多少とも活用できないかなと思って業者さんに頼んだんですが、マーケットがないって言うんです、日本の中で。

つまり、もう若い人たちは買わないと。重要文化財級のアンティークならともかく、ちょっとぐらい古い手仕事のものがあったって、もうマーケットがないですからって。で、東南アジアに、輸出したりしているんですって。向こうの人たちは、まだ日本で使われていた、そういうものを、関心をもって買う人もいるんだけど、日本の若い人たちは、シェアハウスとか、自分の部屋さえもなくなってきているわけでしょ。だからモノに対する執着というのが、このデジタル社会で、いっきに今なくなっている部分も大きいのかなと思うんです。

河野:そうかもしれない。ただ、日本人だって、外国の古い家具とか、その国ではあまり重要視されないものを、わざわざ取り寄せて、使っている人もいます。それこそインターネットでつながる海外に、高橋家の家具のようなものをおもしろいと思って、買ったり、大事にしてくれる人がいればいいですね。

高橋:私なんか、昔はよくパリとかロンドンの蚤の市を歩くのが好きだったんです。週末になると、そういうところに行って見ていると、もう凄まじい量ですよね。家具だろうが、美術品だろうが、ほんとに凄まじい量のものが取り引きされていて、みんな買うんですよ、それを。若い人でも買うし、自分の部屋を持ったらそこに入れようとか、そういう循環のサイクルがちゃんとできていて、古い世代がいなくなれば、また、それはマーケットに出ていって、またそれを若い人たちが買うという。ちゃんと循環ができているなっていうのはよく感じました。

もう何千点、何千軒と古いものを扱うお店があり、自分のところに持ち切れなければ田舎にストックがあって、そこに行けば、山のように、さっきのモリスのタペストリーじゃないですけど、あんなものはざらにあるという。その循環ができているというのは、羨ましいなと思うんです。日本だと、それができない。

極端なことを言うと、この丸の内。丸の内にも、古いビルがいっぱいありましたよね。三菱地所が、いろいろ責任を持って街づくりをやっているわけですが、一昔前は、みんな壊しちゃったわけです。一号館も、一部の部材や写真が保存されていて、それをもとに調査を行いながら復元した。

私が昔、上野の西洋美術館にいたころ、丸の内にあった糖業会館/ニッポン放送のビルが壊されるのだけど、その中に旧松方コレクションの作品が飾ってあるので、それを寄贈したいから取りにきてくれ、と言われて見にいったことがあるんです。そのビルは、昭和初期のいいビルで。設計者、誰だったっけ? 渡辺節だったっけな。ものすごくいい、きれいなビル。シャンデリアなんかもすばらしかった。だけど、みんな壊しちゃうというので、もうビックリした。自分の家に持って帰ろうかなと思ったんだけど、直径2メートルぐらいあるシャンデリアで、その上に寝るわけにもいかないから、あきらめたんです。で、いろんな美術館に声をかけて、少しは助かったと思いますけど、やっぱりそれを再利用するようなマーケットというのが、日本にないので、結局そこでみんな断ち切れちゃう。潰されちゃうんです。

私は、こういう仕事をしていて非常に情けないなと思いました。なんとかならないのかなと。古いテーブルだとか、ずいぶんりっぱなものがいっぱいあったんです。

河野:ほぼ日もそうですが、新しいメディアに、そういうものの価値とか、そういうものの有効利用の仕方みたいなことが、記事なり、メッセージとして出ていけば、その気づきも増えてくるのかなと思います。ビルの建て替えという、縦割りだけの話で、横の連絡とかなかったでしょう。

高橋:そうですね。だから壊して、新しいのをつくっちゃったほうが、やっぱり早いし、たぶん収支的にも、そのほうがメリットがあるので、結局そういうことになっちゃうんですよね。そこを別な流れに乗せるちょっとしたきっかけなのかなとは思うんですけど、誰もそれをやれる人が今いないので。

河野:「ラファエル前派の軌跡展」を見ながら、古い価値の発見とか、モリスの、中世に戻ることによって今の社会的ないろいろな課題の解決を図っていこうという動きとか、遠い昔の話というよりは、今われわれが考えなくてはいけないことに対してのヒントを、たくさんもらったように思います。

高橋:ありがとうございます。

河野:外で、今、行なわれている「生活のたのしみ展」は、また別の意味で、いろんなところの、いろんなモノ、ほぼ日が目を皿のようにして見つけたモノを通して、人と人をつないでいこうという展覧会です。

今日、館長とこうやって、お話ししようと思ったのも、そういった意味で、200年前の話と今とが、いろんなところでつながるんじゃないかなというような思いからだったのですが、そんなことを皆さんにも感じていただけたかなと思っています。

最後に、これもお伝えしたほうがいいのかなと思うんですけど。

高橋:さっきお話しした次の展覧会。

河野:マリアノ・フォルチュニですか、「100年経っても新しい」と。今度は100年。だいぶ現代に近づいてきましたが、スペイン人で、ヴェネツィアで活動していたデザイナーですよね。今日はこの人を意識して、イッセイを着てきたんですけど、イッセイミヤケさんの‥‥

高橋:プリーツですね。

河野:プリーツは、この人(マリアノ・フォルチュニ)に原点があるんじゃないかなと思われるところがあって、この展覧会もちょっと野心的な試みだと思います。館長、なにかPRしたほうがいいんじゃないですか?

高橋:シャネルとか、スキャパレリのちょっと前に、女性の服を、コルセットから解放して、いっきにニューヨークやパリで名声を得たデザイナーで、ずっと何十年か忘れられていた感じがあったんですが、ここ数年は、サンクトペテルブルクでも展覧会をやったし、去年パリで大きい展覧会をやった。うちがやる前にやられてしまったので、ちょっとムッとしたりしたんですけど(笑)、別に喧嘩しているわけでもなく、うちの展覧会は非常にオリジナルなもので、ヴェネツィアのフォルチュニ美術館と一緒にやりますので、ぜひ見にきてください。

さっき言ったみたいに、ラスキンがヴェネツィアというのとかかわったのと同時進行で出てきたデザイナーです。ヴェネツィアという町が、世界都市になるきっかけのようなデザイナーなので、ぜひ見にきてください。

河野:7月6日からだそうです。私のいる「ほぼ日の学校」で、今講座の募集をしているのが、ダーウィンなんです。ダーウィンという人は、今年で生まれて210年。それから『種の起源』という本が出てから、160年という、そういう年なんです。ダーウィンの『種の起源』って、私もそうなんですけど、名前は知っていても、全然、読んだことなかったし、ダーウィンの進化論、進化論と言っているわりに、何も知らない。でも、あらためてにわか勉強してみると、とってもおもしろい問題をわれわれに示唆してくれているなということを感じています。

世の中には、いっぱい生き物がいるんだということは薄々知っているんですけど、「ああ、こういうふうにして、生き物は進化してきたのか」という、それもおもしろい。それから人間ですよね。どこから、どういうふうにして、われわれが来たのか。これからどこへ行くのかという、そういうことを考えさせてくれる講座にしていきたいなと思っています。今、それを募集しておりますので、ほぼ日のページでご覧いただければと思います。

ということで、館長、いろいろありがとうございました。

高橋:ありがとうございました。いろんなものがみんなつながっていますから、横に見ているとほんとにおもしろいなと、いろんなときに思います。また、よろしくお願いします。

河野:どうも今日はありがとうございました。

高橋:ありがとうございます。

(終了)

【次回の開催の展覧会について】

「マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン 展」

グラナダで生まれ、パリで育ち、ヴェネツィアで活躍したデザイナー、マリアノ・フォルチュニ。上質な絹の布地に繊細はプリーツ加工をした「デルフォス」ドレスで19世紀末から20世紀のファッション界を一世風靡しました。本展は服飾に加え、絵画、写真、プロダクトデザインとともにフォルチュニの業績を紹介日本初の回顧展です。

 

(マリアノ・フォルチュニ《デルフォス》1920年頃 絹サテン・トンボ玉 神戸ファッション美術)

開催日:2019年7月6日〜10月6日
開催時間:10:00〜18:00
(但し、祝日を除く金曜日、第二水曜日、会期最終週平日は21:00まで開館)
休館日:月曜日(祝日・振休日)
会場:三菱一号館美術館 千代田区丸の内2-6-2
料金:一般1,700円、大・高校生1,000円、中・小学生500円
学生無料ウィーク:7月20日〜7月31日
詳細は特設ウェブサイトをご覧ください。

河野:お待たせいたしました。それではこれから三菱一号館美術館館長の高橋さんと私、ほぼ日の学校長、河野でございますが、ミニトークセッションを始めていきたいと思います。特になにかタイトルを大げさに付けているわけじゃないんですけれども、今、ちょうど三菱一号館美術館で開催されている「ラファエル前派の軌跡展」という展覧会と、ほぼ日が、ちょうどここ(丸の内)を舞台にして始めました「第4回生活のたのしみ展」、このコラボ企画として、今回トークをお願いしました。どうぞよろしくお願いいたします。

高橋:よろしくお願いいたします、どうも。こんにちは、高橋です。今日はちょっと河野さんにリードしてもらって、進めようかと思いますので、よろしくお願いします。

河野:今日、ここに来られてみて、人出というか、人の多さ。

高橋:そうですね、ちょっとビックリします。なんかいつものこの辺の方と、みんな、違う感じの方が多くて。

河野:きょう最初に歩いたときは、セキュリティカードを首から下げた人が多いので、この丸の内界隈のお勤めの方が、お昼休みに来ているんだなと思っていたんですけど。それが今は入れ替わって、ほぼ日の昔からのファンの方も多いですし、「たのしみ展」のために初めて来られた方もいらっしゃると思いますし、いつもとはちょっと変わっていると思うんです。今、前に座っておられる方は、皆さん、美術館のそうとうリピーターだったりして、ちょっとそれを恐れているんですけど(笑)。

高橋:そうなんですか? いや、河野さんのファンの方じゃないんですか?

河野:いや、いや、それはないです。

高橋:じゃないんですか。

河野:やっぱり美術館によくいらしている方でしょうか。頷いていただけます?

高橋:そうですか。ありがとうございます。すみません。

河野:やっぱりね。こういうお客さまが来られていますね。館長というのは、なかなかお客さんと会う機会は、あるにはあるでしょうけども‥‥

高橋:そうですね、当館にはサポーター制度があるので、そのときにちょっとトークしたりして、軽いお話をしたりすることがありますけど、でも、そんなに長時間話すことはあんまりないです。今日はそうすると、皆さんのお顔をリコグナイズ(認識)するという機会なので。

河野:私は「ラファエル前派の軌跡展」の展覧会の初日だったと思うんです、3月15日に伺って、実はちょっと地味な展覧会じゃないかなと思って行ったんです。だから割とゆったり見られる、そういうイメージで入ったところ、あにはからんや大変たくさんの方が来られているということに、まず驚いた。それから、やっぱり中身がすごく充実していて、見応えがあるなということを思いました。

そのラファエル前派という美術家たちをリードした、ジョン・ラスキンという人の生誕200年を記念して、この展覧会が催されたわけですが、ほかにも特にこれを今の時期にやりたいと思われた理由は?

高橋:まず、三菱一号館は、ジョサイア・コンドルという、明治のころのお雇い外国人が設計した建物です。日本中に結構、彼の作品はありますけれども、一号館はその代表作の一つなので、やっぱりイギリスのDNAを入れた展覧会は定期的にやっていこうというのが、最初からの方針でした。今までもいくつか、「バーン=ジョーンズ展」だとか、「ザ・ビューティフル」あるいは「ジュリア・マーガレット・キャメロン展」など、イギリス関係の展覧会をやってきたわけです。

もう一つ、ビジネス的に見ると、三菱一号館美術館って、会社の一部ですからほかの美術館とは違って、ある程度収益も考えてやらなきゃいけないので、お客さんにも一定の数は入っていただかないといけないということがあります。その点から言うと、実はラファエル前派って、コアなファンがずうっといらっしゃるんですよ。それで、やれば必ず一定の方がいらっしゃってくれるというのがあるので、ある意味すごく安心感があるテーマなんです。

ただ、今回は不思議に、一定数というよりそれ以上に、最初からお客さんが見えているので、われわれ中の人たちもちょっとビックリしています。あれ、なんでこんなに入るんだろうって、実はサプライズだったんです。おそらく東京のほかの美術館で、ラファエル前派についてのなかなか大きい展覧会は開いていないということもありますし、いろんな理由があるのかなと思います。もう一つは、この丸の内の、この東京駅のそばの煉瓦造りの美術館というのは、かなり皆さんに認識されて、もうリピーターというか、ベースの一号館を好きでいてくださる方というのが、かなり安定した数いらっしゃるというのが、理由としてあるのかなと思うんです。

三菱一号館美術館は2010年にオープンしましたよね。「マネとモダン・パリ」というタイトルの展覧会を開いてから、最初の何年かは、皆さんに認識してもらわなきゃいけないので、かなり無理してというか、中の人たちも一生懸命がんばってやってきたところがあるんですけども、ここ2、3年は、おかげさまで日本の中だけじゃなくて、国際的にも、皆さんに認知されて、あそこの美術館でやるなら、たぶんいいものをやるだろうという、いいレピュテーション(評判)が広まっているんじゃないかなと、いいほうに解釈しているんです。

河野:たぶん一つの美術展を見て、関心がずっとつながっていくと思うので、あれもこれもと目先が変わりすぎるよりも、深めていってもらえる美術館があるというのは、とてもいいんじゃないでしょうか。きっとそういう方が、少しずつかもしれないけど、どんどん増えて、今回は驚くほどたくさん来られているという結果につながっているんじゃないかなと思います。

ジョン・ラスキンとその影響

高橋:ラファエル前派展の話をすると、さっきラスキンの話をちょっといただきましたけど、個人的にはほんとはラスキンを中心にした展覧会をしたかったんです。「ジョン・ラスキンとその周辺」みたいな展覧会をやりたかったんです。それはなぜかというと、ラスキンという人が、実はヴィクトリア女王と同じ年に生まれて、1年違いで亡くなっているので、19世紀の最も19世紀的な部分を生きた人であり、影響力もすごくあった。

だからフランスでも、例えば小説家のマルセル・プルーストなんかも、ラスキンの大ファンだったし、イギリス国内だけに留まらず、ヨーロッパ中に影響があった人ですし、社会思想家としても、すばらしいいろんなことをやっていました。ナショナル・トラストなどイギリスの自然保護運動のきっかけもやっぱりラスキンがかかわっているし、労働運動とかさまざまなところで、ラスキンという人は仕事をした人です。さらに言うと、次に一号館で、マリアノ・フォルチュニというヴェネツィアのスペイン人デザイナーの展覧会をやりますけども、そこにもラスキンの影響があります。ジョン・ラスキンが、『The Stones of Venice』(1853年、『ヴェネツィアの石』)という非常に重要な本を書いて、「古い遺跡を保存しなきゃいけない」、「古い建築というのはヨーロッパ人の魂なんだから、それをきっちり保存しよう」と、ヴェネツィアの町の保護運動にもずいぶんかかわって、それによってヴェネツィアが覚醒して、国際的な観光都市に、もう一回なっていった。それもラスキンの一つ大きな功績なんです。

そんなこともあって、ラスキン中心の展覧会にできないかなと思って。実は去年、まさにラスキンの生誕200年の展覧会というのをヴェネツィアでやったんです。私もそれを見ましたが、すばらしかった。今回の展覧会でも展示されていますけども、ラスキンのいろんな、フランスの町のこういう(スケッチや)、スイスの山岳風景だとか、自然のスケッチとか、それからフランスの大聖堂の彫刻の模写だとか、すごく作品をいっぱいつくっていて、大量のものを見られたので、すばらしいなと思ったんです。

ですから、もう少しこのラスキンの部分を膨らませてやりたかったんだけども、それだとたぶんお客さんは入らないだろうなというのが現実の予想でした。ラファエル前派まで広げれば、19世紀全部カバーできるので、より一般の方がたも来られるんだろうということでこういうことになったんですけど、たぶん間違っていない選択だったかなと思います。

河野:たまたまなんですが、私もラスキンという名前は、ほんとに小さいころから、耳になじみのある人ではあったんです、個人的なことで。

けれども、今の時代にラスキンと言っても、ほんとに知っている人が少ないということも、一方でよく感じていたので、ラスキン生誕200年でこの展覧会をやるということ自体に、そうとうの勇気と冒険性とあれやこれやを感じていたんですが、その背景に館長のこういう思いがあったのかというのは、今日伺って、あらためて驚いています。

展示されているラスキンのデッサンというのは、私も見るのが初めてだったんですが、小さいころに、すでに地質学者とか鉱物学者になりたいと思っていたというラスキンだけに、山のことや地殻構造みたいなものにまで関心を持って、細かに丹念に描いている。それから、ターナーの絵を大変に高く評価したというラスキンだけに(それは独特なラスキンのターナー評価なので、ターナー自身が、それを100%良しとしていたかどうかは、なかなか微妙だなと思うんですけれども)、ターナーの絵から見えてくる、自然の奥から人間の魂に訴えかけてくる何かというものを、大きく強く批評の中に取り込もうとしたラスキンらしい、ある種の彼の精神性が、若いときからあらわれているデッサンだと思いました。こういう手づくりの装飾に対して関心を持っているラスキンというのも、さきほど館長がちょっとおっしゃっていましたが、後年のラスキンの社会思想家としての、いろいろな活動にもつながっていくような関心の持ち方にもなっている。それはまたあとで詳しくお話を聞いていきたいと思うんですけども、この素描があれだけの点数並んでいるというのは衝撃だったですね。たぶんヴェネツィアのときも、それくらい並んでいたわけですね。

高橋:ヴェネツィアのときもすごかったですね。ほんとに何百点もあったので、圧倒されました。

巻貝なんかありますよね、こういう。ただリアルに描くというだけじゃなくて、やっぱりセンスがきちっとあるので、単なるスケッチというだけではなく、それなりのラスキンの表現というのが入ったものじゃないかと思います。こういうものが、もうえらい数並んでいましたから、ほんとに。

特に日本人って、自然なものに対する関心というか、センスが昔からあるんですよね。ですから、たぶん知識もなく、パッと見ただけで、こういうものに取り込まれていくという部分があると思います。ヨーロッパの中心であるラテン系の文化以上に、イギリスや北方諸国、もうちょっと北のスカンジナヴィアだとか、フィンランドでは、自然に対する感性が非常に豊かだと思うので、それをあらためてラスキンの作品を見ると認識するんです。ターナーなんかも、やっぱりそういう部分がすごく強いじゃないですか。

河野:こちらがターナーの絵ですね。(ターナー《カレの砂浜——引き潮時の餌採り》1830年)

高橋:それにより、明治期にイギリスへ行った夏目漱石なんかも、非常にターナーに親近感を持ったわけで、それまでの日本の美術が持っていた自然に対するアプローチというのと、どこか共通したものがやっぱりあると思うんです。

ラテン系の文化の、非常に人間中心の確固たる、まさに人間の体と思想というのが中心になった文化と、この自然というものに自分がむしろ溶解していくような形で、自然に溶け込んでいくようなものは全然違うと思うんですけど、日本人がもとから持っているものというのは、この自然というものに自分が溶け込んでいく感覚。四季の移ろいを感じながら観賞していくという、そういうものに、よりシンパシーを感じるんじゃないかなって、私も六十何年生きてきて、あらためて最近そう思うんです。いかがですか?私と同じ年なんですよ、河野さんって、実は。

河野:そうですね、このあいだ、お会いしたときは、私のことを、ちょっと先輩だと思ってくださって、非常に敬意を込めてお話しいただいたんですけど、今日は同じ年だとばれた瞬間に急にフラットになってしまいました(笑)。

でも、日本人になじみのある画風であったり、ラスキンの影響を受けてそこから巣立っていった人たちが、どういうメンバーで、どういうことを考えたかということや、今日催されている「生活のたのしみ展」にもつながってくる日本の手づくりの文化とか民芸運動なんかにもつながる、アーツ・アンド・クラフツ運動を主導していくウィリアム・モリスみたいな人がラスキンの影響下にあるということなどが、日本人とのかかわりも非常に深いという重要なところを今回の展覧会では、見せてくれているなと思います。そっちのほうまで一足飛びになるんじゃなくて、まずタイトルにある「ラファエル前派」。

ラファエルなんですよね、ここはいつまでも。本物はラファエロになっているんですけど、これはやっぱり翻訳の関係で、こっちが定着しちゃったわけですね、ラファエル前派。

高橋:そうですね。英語っぽく出しているという、「っぽく」ですね。

河野:そうなんですよね。ラファエロとラファエルと、どうなんだよと思わなくもないんですけど、ラファエル前派。この人たちは、どういう人たちで、どういう背景があったから、ラスキンの思想に共鳴して、ブラザーフッド(同盟)というものを結成し、新しい動きをつくろうとしたんでしょうか。

高橋:ご存知のように、イギリスだけじゃなくヨーロッパ全土って、いわゆるアカデミーというものが厳然とあって、特にフランスは、ルイ14世以来、それはすごく強かった。その中で、どういうふうに絵画を描くのがベストなのかという、ヒエラルキーをきっちり定義してつくっちゃったわけです。ルネサンスの三大巨匠のミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ。こういう人たちがトップにいて、その中でもラファエル。ラファエロですよね。イタリア語で言うラファエッロが最高の地位にあって、これは揺るぎのないベストなアーティストであると、全部定義づけしちゃったわけです。

これは、フランスでの話ですけども、いろんな過去の有名作家を全部点数制にしたわけです。それで点数を一番獲得したのが、ラファエロ。ですから、もうラファエロはベストなアーティスト。ほかの人たちも、この人は19点だ、18点だなんていう、まるで進学塾みたいな仕組みをつくったわけです。

それで、美術家を目指す人たちも、みんなそれに向かって努力することを強制されたんだけども、あるときに、なんかそんなのバカバカしいじゃないのって言い出した人たちがいるわけです。その一人がラスキン。イギリスは、やっぱりラスキンだったので、ラスキン。こんなラファエロより、もっとそれより前の作家のほうが、おもしろいんじゃないのっていうようなことを考えたわけです。

じゃあ、それ、誰?じゃあ、どういう人たちなの?というと、ラファエロが非常に完成形だとすれば、それ以前で、もっと未完成な状態で、なんだけども、非常に自分たちのセンシビリティを存分に出した人たち。ちょっと1世代、2世代前の画家たちです。そういう画家たちのほうが、実はすばらしいんじゃないのということを言いだして、それがだんだんに共感を得るようになったんです。それで、若い画家たちがブラザーフッドを組んだ。それがラファエル前派の人たちなんです。

その根底は何かというと、自然に寄り添うということ。ラファエロがいいというふうに考えて、ラファエロを真似していたんじゃ、意味ないんじゃないの?だって、それはもうラファエロが描いちゃったものですから。それをコピーしても、それはいわゆるマニエリスムというやつなんです。できたものをよしとして、それをコピーしていく。それは意味ないと。そうじゃなくて、その原点に帰るというのが、ラファエル前派なんです。

ただ、今回の展覧会をご覧になってもわかるかと思うんですけども、そのやり方がいろいろあって、「自然に則せよ」と言うんだけども、じゃあ、ロセッティだとか、バーン=ジョーンズたちの作風が、ほんとに自然に寄り添っているの?というのは、また別問題で、ラスキン自身は結構気にいらない部分がいっぱいあったわけです。そして結果的にうまくいかなくなっちゃったりしたわけです。若い画家たちの思い込みと、ラスキンの立ち位置は違うので、そう単純にはいかない。やっぱりアーティストたちの世界ですよね。

河野:今、ちょっとお話に出ましたけど、若い画家たちが、ラスキンの影響下に糾合する。集まるんですけれども、なかなかラスキンの考え方と、若い画家たちの、その後の歩んでいくコースとが、ピッタリ寄り添っているわけではなく、どこかで、やっぱり蜜月が終わります。その蜜月の終わる理由に、きわめて人間臭い、ラスキンの奥さんとミレイという画家が、旅行中に仲良くなっちゃって、ちょっと怪しくなって、それが理由でラスキンとミレイが袂を分かつとか、なんかほんとに人間ドラマもあるという。そういうことを含めて、なかなかグループとして見るとおもしろいところがありますね。

高橋:そうそう。だからその辺が、また結構、たぶん人気がある理由じゃないかなって、実は思うんです。週刊誌っぽいところ、週刊誌ネタみたいなところがいっぱいあって、その辺の裏話もなかなかおもしろい人たちなので。

河野:そうですよね。1枚の絵(ミレイ《滝》1853年)の右端に、女性の姿(ラスキン夫人)が描き込まれているとか、「あ!それがポイントなのか!」というような見どころがあったりしますよね。

高橋:そうですね。また、スタイルも、ロセッティ、バーン=ジョーンズ始め、日本人が昔からなじんでいるような、イラスト的な、まさに少女漫画みたいな感じが、すごく親近感を呼ぶというところもあるんじゃないですかね。

河野:なるほどね。時代としては、さっき、館長が、ラスキンという人とヴィクトリア女王とは同じ年に生まれて、1年違いの没年であるというお話をされましたが、ヴィクトリア朝というのは、一般的には、大英帝国が繁栄の極みを謳歌できた、そういう時代だと思うんです。産業革命があって、技術革新が進んで、工場生産というのも軌道に乗って、ロンドンという大都市がさらに急成長していくという。

その一方で、農村から人が流出したり、農村の自然が荒廃していったりとか、そういうことも背景にある。自然発見というか、自然をあらためて見直そうという、詩人で言えば、ワーズワースとか、そういう人たちのアプローチと、ラスキンの絵画における自然重視と、その辺もつながっているというふうに考えていいんでしょうかね。

高橋:そうですよね。やっぱりイギリス文学なんかを概観しても、『嵐が丘』なんかは、自然というのがすごくバックにあるじゃないですか。主人公の人たちを見ていても、必ずヒースの丘が続いていたりとか、そういうイメージがワァーと湧いてくるし、その辺って、やっぱり大陸のフランス文学なんかとはちょっと違うなといつも思うんです。必ず何かすごく映像的というか、映画でも、すごく自然描写が多いなと思います。フランスのものだと、主人公の心理がかなりクローズアップされたり、女性、男性が、まずスクリーンの中でバァーとクローズアップされて、接写で結構厳しい会話をお互いにしていって、そのテンポというのがいつも主調になっているななんて思うんです。ゴダールなどの映画を見ると、やっぱりそう思います。でも、イギリスのものって、そうじゃないなといろんなものを見ていて思います。より、総合的というか、見ているほうも感受性がいろんなものに広げる必要があって、あんまり人間だけにフォーカスしていても、イギリスのものは理解できないだろうなと思うときがあります。

人間が幸せになる働き方

河野:なるほどね。ラスキンが晩年は、イギリスの湖水地方と言われるところに居を構えるんですけれども、人間の働き方や、産業革命以降の機械化であるとか、何かものをつくること、分業すること、そこにパートとして人間が仕事をするというようなことを都市生活者として身近に見ながら、もっともっと人間が幸せになっていくようなちがう働き方とか、仕事の仕方というのがあるんじゃなかろうかと、彼はだんだん感じ始めたからなのではないでしょうか。そういうときに、テーマとしてターナーの絵が飛び込んできて、ここに描かれたような自然というのが、今の社会の中に現われ始めたいろいろな課題というか、矛盾というか、問題を解決してくれるヒントや希望の証に思えたんじゃないかなと展覧会を見ながら思いました。

高橋:フランスとの比較を言うと、やっぱりラテン系の国って都市文化なんです。パリなんか、本当に町として小さいですよね。空港からずっと行っても、あるところまで、ずうっと何もない。田園が続いて、突然に城壁みたいな場所から、縦貫道路になっていますけど、そこから突然今度は町になるというような構造です。ロンドンなんかは延々丘が続いて、そういう田舎町が続いて、いつの間にか町になる。僕には、ロンドンもすごく田舎っぽく見えます。公園が広いということもあるし、いわゆるカントリーの文化というのが、アングロサクソンの文化の一番オリジナルなのかなと思わせるものがあり、まさに湖水地方のお話が出ましたけど、湖水地方みたいなところがイギリス人の心の拠り所なのかなって時どき思うんですが、フランス人はそういうことはないと思うんです。

コート・ダジュールみたいなリゾートはあるけれども、あれだって、もう19世紀にできた人工的なゾーンです。フランスにはひとつひとつの町というのがかっちりあって、そこが中心だし、その真ん中には、一昨日からのニュースを聞いて私は、もうほんとに泣きそうになっている、あのノートルダムみたいな大聖堂が真ん中にあって都市生活というのがかっちりある、そういう文化です。

ただ、それをつないでいる場所やものがあるとすれば、きょうのテーマの手仕事ですよね。手仕事だけは、やっぱりヨーロッパの文化の絶対になくならない、一つの常にそこに立ち返っていく大きな要素かなと思います。今回、ノートルダムを、どうやって再建するのかという話が出ていると思うんですけど、突然マクロンが5年間で新しい材料を使ってやるとか言うから、ビックリしちゃいますよね。1000億円ぐらい寄付金が集まっているらしいんですけど、そんなことを言い出したら、「寄付金返せ」って言う人が出てくるんじゃないかと。もとのオリジナルな木の部分の工法に戻って、きちっと再建しようという説の人が必ず出てくると思いますし。それはイギリスだって、同じですよね。

河野:なるほど。それで、今はフランスで人を集めようと思ったら、そういう腕を持った人たち、あるいは素材は、調達できるわけですね。

高橋:そうですね。まだちゃんとみんな、存続しています。

河野:なるほど。日本では、なかなか大工さんであるとか、昔ながらの技を持った人を集めようと思っても、難しくなっている。

高橋:ほんとに難しくなっている。

一号館でも、前2013年でしたっけ?「KATAGAMI Style」という型紙の展覧会をやったんです。(2012年開催です。)伊勢型紙のね。伊勢型紙が、ずっと江戸時代末期から紙屑みたいに捨てられていたのを、ヨーロッパの人たちがみんな、持って保存していた。そして、そこから影響を受けて、ヨーロッパのアーティストが作品をつくっていたということが、最近になって非常に明らかになってきて、その展覧会をしてみようかというのでやったんです。

でも、実際に伊勢の現地へ行くと、伊勢型紙を彫っている人がもう数人しかいないという状況で、いつ途絶えてもおかしくない。人間国宝みたいな方もいらっしゃるんですけれども、やっぱり生活として成り立たなくなってきている、なんていう話も聞いて、すごく気持ちが重くなっちゃったんです。それをうまく活用できないのかなって、ほんとにそう思います。あらゆる分野で、そういうことが起きているんじゃないんですかね。

河野:なるほどね。でも、そういうお話に移ったので、またラスキンのほうに戻りながら、もうちょっと続けたいと思います。ラスキンの思想の一部、一部というか根幹かもしれないんですが、それを発展的に受け継いだのが、ウィリアム・モリスという人です。ちょっとモリスについて、お話しいただけるでしょうか。

ラスキンからモリスへメディアの役割

高橋:モリスは、今回の展覧会でも椅子とか、タペストリーとか、出ています。たぶん日本の方にも、モリスの名前は知らないけど、こういうパターンデザインは大好きという方は、ずいぶんいらっしゃると思うんです。モリスも実際、展覧会をやると、グッズが結構飛ぶように売れて、皆さんに非常に親しまれているというのはよくわかります。

このタペストリーなんかも、典型かもしれませんけども、中世風の大変平面的なパターンをつくって構成している。考えてみると、真ん中に人物(これは、ポーモーナという、ギリシャ・ローマ神話の女神)はいて、こういうところではラテンの文化を入れながらも、平面のまさに二次元パターンをつくっていくというのは、ケルトとか本来の北ヨーロッパのオリジナルな感覚というのを、存分に出しているものです。こういう縁取りの花のパターンなんかも、中世のもののパターンを彼なりにもう一度再構成してやっていて、まさに伝統と革新というのがピッタリ嵌まるのかなという気がします。

ちょうど、熱海のMOA美術館で、今、「URUSHI 伝統と革新」という漆の展覧会をやっています。私の知り合いで、芸大のサッカー部で一緒だった室瀬和美さんという、若くして58歳くらいで人間国宝になっちゃったという大変な作家が中心になってやっています。こういうモリスの作品なんかを見ると、まさに蒔絵なんかで、昔の平安時代の技法を取り入れながら、また新しいデザインをつくっているという作家たちのことを思い出します。時代から言えば、たぶんセザンヌだとか、ゴッホも亡くなったあとですけど、そういうときにつくっているわけです。そこから何年かすると、それこそキュビスムが出てくるという。

だから横並びで見てみると、これ時代錯誤かな、なんて思わせるところもある。じゃあ、この隣に、ピカソのキュビスムが並ぶかって。全然違う世界ですよね。だけども、このモリスの感性は、それだけ見る人の心を捉えるというか、もう圧倒的にモリスは、人気がありますから。それは本国でもそうですし、日本でもそうです。それはなぜなんだろうなって思わせるものがあります。

装飾というものと、いわゆるファインアートというものを比較すると、ヨーロッパでは明らかに、さっき言ったみたいに、ラファエロというものを頂点として、絵画が最高の芸術です。その次に彫刻があって、それから装飾美術というのがある。ジャンルもはっきりとそういうふうに優劣が付けられていたわけです。でも、それこそラファエロ以前、ルネサンス以前には、そういう優劣というものは存在しなくて、全部横並びでやられていたわけで、日本はもともとそうです。絵画がトップで、じゃあ、漆をつくる工芸作家がその下なのか、なんていうのはまったくなかったので、そういうところを考えても、とりわけ日本人には非常に受け入れられる世界だと思います。

河野:今おっしゃったように、ややもすると大芸術というものと、生活周りのものとでは、ヒエラルキーに差をつけたりする傾向が、ヨーロッパでもどこでもあったと思うんです。まさにアーツ・アンド・クラフツは、アーツという大芸術と小芸術のクラフトを並列させます。並べるというより、横断的につないで、もう一回呼び覚ましながら、つくり手の幸福感というか、参加感というか、モノをつくる喜びを見直そうとしたところが、モリスの果たした大きな役割だと思うんです。そして、私が非常に関心を持っているのは、やっぱりそれを支持した当時の一般の人たちがいただろうということです。

それまでの「これぞ芸術でござい」という題材や描き方に飽き足りない新しい美術のファンが生まれていて、そういう人たちに訴える何かがあったから、ラファエル前派というグループがそれに呼応したと思うし、モリスのこういう考え方も、そういうお客さんとの出会いとか、つながりがないと、なかなか展開しなかったんじゃないかなと思っています。また、そういうアイデアが生まれてくるのと同時に、お客さんと彼らをつなげるところに、誰がいたのかな、と。

私はもともとが編集者なので、作家と読者のあいだをつなぐ編集者のように、美術のつくり手と顧客とのあいだに、画商とか、画廊とか、あるいは批評家とか、どういう人がいたのか。誰がそうした気運をつくったのかなということに興味があるんです。

高橋:この時代、1850年代以降は、画商さんもそうだし、プロモーションの人もそうですが、まさに雑誌ですよ。特に1880年代あたりから、いろんな雑誌が出るんです。The Studioだとか、有名な、今でも続くような雑誌がいっぱいあるんですけど、まず、その前提として、写真が19世紀の半ばにちゃんと商業化され、一般の人たちもどんどんカメラを持てるような時代になります。その写真製版の技術ができて、きれいな写真が雑誌に載るようになる。ですから、まさに今SNSでそれぞれ写真をやり取りしたりするような、それに似たような革命的な時代です。かなり安い値段で、簡単に雑誌が手に入るので、どんどんいろんなイメージを、みんなが見られることになったんです。

日本でも有名なのは、Le Japon artistique(《藝術の日本》)という、ジークフリート・ビングというドイツ人の人がつくって、英語版、フランス語版、ドイツ語版とか国際版に仕立てて、日本の美術をさんざん紹介する。それを「あ!こんなにおもしろい」って、アーティストたちが見て、自分の作品に取り入れているわけです。

河野:あのジャポニスムも、ブームをつくったのは、そういうメディアが果たした役割が非常に大きいということですね。

高橋:そうです。それはものすごく大きいです。実物はもちろんどんどん入ってくるけども、それ以前に雑誌が果たしたそういう役割というのは凄まじいものがありました。そこのところは、まだ体系的に研究されたり、展覧会になったりしていないんですけど。でも、それは今、皆さんがインターネットで見るような、そういうことですよね。情報量としてそれ以前と格段の差が出てきた時代なので、みんなが自分の好きなものをどんどん選択して見られるようになったんです。

河野:そうなんですね。絵を展示する場所も増えたわけですかね、そのころから。

高橋:そうです。

河野:限られた人たちが個人所有していたもの、限られた人たちしか見られなかった絵画が一般にも見られるようになり、また絵を描いている人たちのサークルが広がったということも大きいんでしょうね。

高橋:そうですね。それ以前にも、細々ですけど、16、7世紀ぐらいから、画商さんというのはいましたけど、それは当然顧客が限られていました。王侯貴族とか、ブルジョワ市民だけの決まった人たちのあいだだけで、いろんなもの(絵画)がやり取りされていて、なかなか一般の人たちがそれを目にする機会はなかったんです。

だから逆に日本のほうが、民主的というか、緩やかだったのかもしれません。絵草紙を、みんなが見たり、江戸時代では町に行くと、露店の版画屋さんなんかがあって、浮世絵版画はそこで買えたなんていうことがあって、意外に日本のそういう庶民文化というのは発達して、高度なものがあったんじゃないかなと思うんです。

河野:たぶん今、雑誌もそういう影響力って、なかなか持てないんですけれども、代わって今は、インスタグラムなどが流通するという、新しいメディアの時代になってきています。当然そこに違う評価やニーズなども生まれていくと思うんですよ。

美術館も最近は、写真を撮ることに対して、非常に寛容になってきて、私は個人的にはいいことだなと思っています。

高橋:だから割とうちは率先して、今そういうことをやっていますけど、ただ問題は、やっぱりカシャ、カシャって、あの音です。あれはなんとかならないかなと思うんですけども。情けないことに、日本だけじゃないですか、あのカシャカシャ音を出すのは。それは盗撮を避けるためというメチャメチャに情けない理由なので、どうにかならないかなと思う。あれがなければ、まだね。

あの音があると、せっかく見ているのでああいうのはやめてくれ、というクレームも出るのでちょっと難しいんですけど、海外の展覧会は、今は完全にフリーですね、撮影に関して。それを、どんどんどんどんSNSに上げていってくれて、どんどん情報を拡散してくれている。今や海外の美術館は、そういう方向性に完全に舵を切ったと思います。昔、僕が勤めていたオルセー美術館では一時期撮影禁止にしたことがあるんです。結局、それも何年かでやめちゃって、今はまた撮影を許可しています。

積極的なところでは、アメリカの美術館なんかだと、美術館側が全部展覧会の撮影をして、それをYoutubeなどに上げて、美術展行かなくても、中がある程度わかるというようなことを美術館側が率先してやっている。それはそれで、どういうふうになっていくのか関心がありますけど、それによって、「じゃあ、もうスマホで見たから、行くのやめよう」という人もいないんじゃないかと思うので、悪くないことかなと思うんです。

あと、Amazonだったか、Googleだったか、世界中の絵を全部記録していこうっていうプロジェクトをずっとやっていますよね。それだと、モネならモネ、パッとやると、モネの全作品がネット上で見られるなんていうことを目指しているんだと思うんですけど、それで見たからもういいやっていうふうになっちゃうのかというと、9割ぐらいの人はそうかもしれませんよね。でも、そうじゃない人もたぶんいると思うので、それはそれで必要なことなのかなと思っています。

200年前から今を見つめ直す

河野:なるほどね。またちょっと手仕事の話に戻りたいと思うんですが、ラスキンにしても、モリスにしても、当時の世の中が、だんだんと分業に走っていく中で、職人が一つの仕事をトータルでやり通すという手仕事を再評価して、そこから中世に戻れという主張になったと理解しています。一般の人たちも、工業製品とは違う、手仕事を通した何か別の付加価値を感じて、それを支持したということが、とても大きかったんだろうなと。

社会全体は、どうしても工業製品、大量生産のほうに傾いていくわけですが、歴史もそのとおりなんですけど、一方で、働き手の側にも、それを受け取る側のほうにも、それに流されてしまうのはどうなのか、と100%そっちに傾ききれない余地が保たれてきている。そういう秘密もあるのかなというふうに思うんです。

高橋:産業革命のときに、いわゆる打ち壊しなんかがあって、労働者たちが機械を壊したり、極端なリアクションをとる時期ありましたけど、手仕事を復活させるというのにも、それに近いようなすごく極端な動きもあったんです。同時期にヨーロッパ各地でもいろんな動きがあって、工業生産品というものを、手仕事となんとかうまく結びつけて、新しいテクニックやテクノロジーを使いながら、次の世代のものができないかとか、そういうトライアルをずいぶんしているんです。その中では、モリスたちのやり方というのは、かなり復古主義的なものが強かったかなとは思います。

河野:ただ、モリスは、希少なものを残せと提唱するだけに終わらず、それを商業化するプロデューサーとしての力を持っていた。それがすごいなと思います。今、日本の中でもこれを残しておきたいという希少な技がいっぱいあると思うんですが、それをどういうふうに今の人たちの、「もっといい生活を」とか、「もっといいものに出会いたい」という気持ちにつなげていくのか、その橋渡し役の必要性を、あらためて感じます。

高橋:そうですね。自分の話になっちゃいますけど、私、東京に実家があるんですが、親がここ何年かで二人とも亡くなったものだから、ずうっとほっぽってあったんです。それを片付けなきゃいけなくて整理したんですけど、廃棄物だけでも20トンぐらい出て、写真だけで4万点あったし、親が教員をしていたものですから、書籍だけでも3000冊ぐらい。なんとか処分したんですけど、古い家具もずいぶんあって、りっぱな家具もあったから、なんとか多少とも活用できないかなと思って業者さんに頼んだんですが、マーケットがないって言うんです、日本の中で。

つまり、もう若い人たちは買わないと。重要文化財級のアンティークならともかく、ちょっとぐらい古い手仕事のものがあったって、もうマーケットがないですからって。で、東南アジアに、輸出したりしているんですって。向こうの人たちは、まだ日本で使われていた、そういうものを、関心をもって買う人もいるんだけど、日本の若い人たちは、シェアハウスとか、自分の部屋さえもなくなってきているわけでしょ。だからモノに対する執着というのが、このデジタル社会で、いっきに今なくなっている部分も大きいのかなと思うんです。

河野:そうかもしれない。ただ、日本人だって、外国の古い家具とか、その国ではあまり重要視されないものを、わざわざ取り寄せて、使っている人もいます。それこそインターネットでつながる海外に、高橋家の家具のようなものをおもしろいと思って、買ったり、大事にしてくれる人がいればいいですね。

高橋:私なんか、昔はよくパリとかロンドンの蚤の市を歩くのが好きだったんです。週末になると、そういうところに行って見ていると、もう凄まじい量ですよね。家具だろうが、美術品だろうが、ほんとに凄まじい量のものが取り引きされていて、みんな買うんですよ、それを。若い人でも買うし、自分の部屋を持ったらそこに入れようとか、そういう循環のサイクルがちゃんとできていて、古い世代がいなくなれば、また、それはマーケットに出ていって、またそれを若い人たちが買うという。ちゃんと循環ができているなっていうのはよく感じました。

もう何千点、何千軒と古いものを扱うお店があり、自分のところに持ち切れなければ田舎にストックがあって、そこに行けば、山のように、さっきのモリスのタペストリーじゃないですけど、あんなものはざらにあるという。その循環ができているというのは、羨ましいなと思うんです。日本だと、それができない。

極端なことを言うと、この丸の内。丸の内にも、古いビルがいっぱいありましたよね。三菱地所が、いろいろ責任を持って街づくりをやっているわけですが、一昔前は、みんな壊しちゃったわけです。一号館も、一部の部材や写真が保存されていて、それをもとに調査を行いながら復元した。

私が昔、上野の西洋美術館にいたころ、丸の内にあった糖業会館/ニッポン放送のビルが壊されるのだけど、その中に旧松方コレクションの作品が飾ってあるので、それを寄贈したいから取りにきてくれ、と言われて見にいったことがあるんです。そのビルは、昭和初期のいいビルで。設計者、誰だったっけ? 渡辺節だったっけな。ものすごくいい、きれいなビル。シャンデリアなんかもすばらしかった。だけど、みんな壊しちゃうというので、もうビックリした。自分の家に持って帰ろうかなと思ったんだけど、直径2メートルぐらいあるシャンデリアで、その上に寝るわけにもいかないから、あきらめたんです。で、いろんな美術館に声をかけて、少しは助かったと思いますけど、やっぱりそれを再利用するようなマーケットというのが、日本にないので、結局そこでみんな断ち切れちゃう。潰されちゃうんです。

私は、こういう仕事をしていて非常に情けないなと思いました。なんとかならないのかなと。古いテーブルだとか、ずいぶんりっぱなものがいっぱいあったんです。

河野:ほぼ日もそうですが、新しいメディアに、そういうものの価値とか、そういうものの有効利用の仕方みたいなことが、記事なり、メッセージとして出ていけば、その気づきも増えてくるのかなと思います。ビルの建て替えという、縦割りだけの話で、横の連絡とかなかったでしょう。

高橋:そうですね。だから壊して、新しいのをつくっちゃったほうが、やっぱり早いし、たぶん収支的にも、そのほうがメリットがあるので、結局そういうことになっちゃうんですよね。そこを別な流れに乗せるちょっとしたきっかけなのかなとは思うんですけど、誰もそれをやれる人が今いないので。

河野:「ラファエル前派の軌跡展」を見ながら、古い価値の発見とか、モリスの、中世に戻ることによって今の社会的ないろいろな課題の解決を図っていこうという動きとか、遠い昔の話というよりは、今われわれが考えなくてはいけないことに対してのヒントを、たくさんもらったように思います。

高橋:ありがとうございます。

河野:外で、今、行なわれている「生活のたのしみ展」は、また別の意味で、いろんなところの、いろんなモノ、ほぼ日が目を皿のようにして見つけたモノを通して、人と人をつないでいこうという展覧会です。

今日、館長とこうやって、お話ししようと思ったのも、そういった意味で、200年前の話と今とが、いろんなところでつながるんじゃないかなというような思いからだったのですが、そんなことを皆さんにも感じていただけたかなと思っています。

最後に、これもお伝えしたほうがいいのかなと思うんですけど。

高橋:さっきお話しした次の展覧会。

河野:マリアノ・フォルチュニですか、「100年経っても新しい」と。今度は100年。だいぶ現代に近づいてきましたが、スペイン人で、ヴェネツィアで活動していたデザイナーですよね。今日はこの人を意識して、イッセイを着てきたんですけど、イッセイミヤケさんの‥‥

高橋:プリーツですね。

河野:プリーツは、この人(マリアノ・フォルチュニ)に原点があるんじゃないかなと思われるところがあって、この展覧会もちょっと野心的な試みだと思います。館長、なにかPRしたほうがいいんじゃないですか?

高橋:シャネルとか、スキャパレリのちょっと前に、女性の服を、コルセットから解放して、いっきにニューヨークやパリで名声を得たデザイナーで、ずっと何十年か忘れられていた感じがあったんですが、ここ数年は、サンクトペテルブルクでも展覧会をやったし、去年パリで大きい展覧会をやった。うちがやる前にやられてしまったので、ちょっとムッとしたりしたんですけど(笑)、別に喧嘩しているわけでもなく、うちの展覧会は非常にオリジナルなもので、ヴェネツィアのフォルチュニ美術館と一緒にやりますので、ぜひ見にきてください。

さっき言ったみたいに、ラスキンがヴェネツィアというのとかかわったのと同時進行で出てきたデザイナーです。ヴェネツィアという町が、世界都市になるきっかけのようなデザイナーなので、ぜひ見にきてください。

河野:7月6日からだそうです。私のいる「ほぼ日の学校」で、今講座の募集をしているのが、ダーウィンなんです。ダーウィンという人は、今年で生まれて210年。それから『種の起源』という本が出てから、160年という、そういう年なんです。ダーウィンの『種の起源』って、私もそうなんですけど、名前は知っていても、全然、読んだことなかったし、ダーウィンの進化論、進化論と言っているわりに、何も知らない。でも、あらためてにわか勉強してみると、とってもおもしろい問題をわれわれに示唆してくれているなということを感じています。

世の中には、いっぱい生き物がいるんだということは薄々知っているんですけど、「ああ、こういうふうにして、生き物は進化してきたのか」という、それもおもしろい。それから人間ですよね。どこから、どういうふうにして、われわれが来たのか。これからどこへ行くのかという、そういうことを考えさせてくれる講座にしていきたいなと思っています。今、それを募集しておりますので、ほぼ日のページでご覧いただければと思います。

ということで、館長、いろいろありがとうございました。

高橋:ありがとうございました。いろんなものがみんなつながっていますから、横に見ているとほんとにおもしろいなと、いろんなときに思います。また、よろしくお願いします。

河野:どうも今日はありがとうございました。

高橋:ありがとうございます。

(終了)

【次回の開催の展覧会について】

「マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン 展」

グラナダで生まれ、パリで育ち、ヴェネツィアで活躍したデザイナー、マリアノ・フォルチュニ。上質な絹の布地に繊細はプリーツ加工をした「デルフォス」ドレスで19世紀末から20世紀のファッション界を一世風靡しました。本展は服飾に加え、絵画、写真、プロダクトデザインとともにフォルチュニの業績を紹介日本初の回顧展です。

 

(マリアノ・フォルチュニ《デルフォス》1920年頃 絹サテン・トンボ玉 神戸ファッション美術)

開催日:2019年7月6日〜10月6日
開催時間:10:00〜18:00
(但し、祝日を除く金曜日、第二水曜日、会期最終週平日は21:00まで開館)
休館日:月曜日(祝日・振休日)
会場:三菱一号館美術館 千代田区丸の内2-6-2
料金:一般1,700円、大・高校生1,000円、中・小学生500円
学生無料ウィーク:7月20日〜7月31日
詳細は特設ウェブサイトをご覧ください。