シェイクスピア講座2018 
第4回 橋本治さん

シェイクスピアの本質を味わう

橋本治さんの

プロフィール

この講座について

『窯変源氏物語』『桃尻語訳 枕草子』『絵本 徒然草』など、数々の古典現代語訳を手がける橋本治さんは、「リア家の人々」や「おいぼれハムレット」など、シェイクスピアにちなむ作品も数多く書いていらっしゃいます。シェイクスピア講座第4回授業では、「シェイクスピアの本質」と題して、明治の人々、ひいては現代の私たちが「西洋」を取り入れる中で何を見失ってしまったのか、丁寧に語ってくださいました。笑いと驚きと発見に満ちた2時間半の講義です。

講義ノート

東京大学文学部国文科卒業。大学在学中に「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」をコピーに駒場祭のポスターを作って注目された。イラストレーターを経て、1977年、『桃尻娘』がベストセラーとなり作家に転じる。巡礼』『リア家の人々』など著書多数。『桃尻語訳 枕草子』窯変源氏物語』『双調 平家物語』『絵本 徒然草』など、古典の現代語訳も多い。現在、『落語世界文学全集』を刊行中で、第1回配本は『おいぼれハムレット』。

橋本治さんとシェイクスピア

私は英文学者じゃないから、シェイクスピアの本質なんか知らないですよ。だから今日は、日本でシェイクスピア劇が上演されるようになった歴史というかプロセス、そういうお話をしようと思います。ただ私は、変にシェイクスピアをいじくりましてね。『リア家の人々』っていう小説を書いたり。これは、リア王が笠智衆だったらどうなるんだろうっていう発想で書いたんです。『城壁のハムレット』という薩摩琵琶の曲も書いたりしました。薩摩琵琶って、不器用な男が心境を吐露するものです。それで「不器用な男って誰だろう」と考えたら、まずハムレットが浮かんだ。なんで洋モノが出てくるかっていうと、薩摩琵琶というのは、江戸時代、薩摩にいてあまり発展しなかったのが、明治になって薩長の維新政府と一緒に東京に出て行ってメジャーになった。そういうものだから、明治っぽいものが似合うなあと思ったんです。

実は明治というのは日本の近代文学が始まった時代でもある。それはどこからくるのかというと落語なんです。二葉亭四迷が、三遊亭圓朝の『怪談牡丹灯籠』が速記で本になったのを読んで、これはどうだろうって坪内逍遥に相談して、言文一致体が始まったことになっている。でも圓朝の落語って、今私らの思う落語とは若干違うんですよね。ゲラゲラ笑えるものではない。

明治20年頃、速記術が到来して落語の雑誌が作られ始めた。その雑誌『百花園(ひゃっかえん)』に載ってるのは、今ある落語。全部会話で話が進んでいく。これを二葉亭四迷が読んでたら『浮雲』はあんな風にはならなかっただろうと思います。『浮雲』はどう見たって言文一致体ではない。また意外なことに、夏目漱石は落語が好きだった。明治20年代は、夏目漱石が20代の頃。好きで通った落語が活きるとどうなるかといえば、『吾輩は猫である』とか『坊っちゃん』になる。あまりそういう辿り方はされないけど、日本の口語文は、落語が生み出したところがあります。

坪内逍遥が朗読した『ヴェニスの商人』

坪内逍遥が自分で訳した『ヴェニスの商人』を朗読している音源が残っています。それを聞いて頂くと、明治の時代のシェイクスピアがどんなものか、今とは全く違うのがわかると思います。

(坪内逍遥の声流れる)

グラシャーノー
  「おお、博学なる裁判官! どうだ、猶人《ジュウ》。成程、博学な裁判官さまだ!」

シャイロック
  「じゃぁ、彼れの申出通りにします。証書を三倍にして支払やぁ、 あのキリスト信者を許してやります。」

バッサーニオー
  「その金はここにある。」

ポーシャ
  「待て! ……猶人《ジュウ》はあくまでも法律の明文通りの裁判を要求しているのである。 待て! 急ぐには及ばん。猶人《ジュウ》は科料以外何物をも受取るべきでない。……

グラシャーノー
  「おお、猶人《ジュウ》! 公明正大な裁判官さん、成程、博学な裁判官さまだ! はははは」

ポーシャ
  「であるから、肉を切取る準備《ようい》をせい。血を流してはならんぞ、 また肉は丁度一ポンドだけ、それより以外、多くも少くも切取ることは相ならんぞ。 若し聊《いささ》かでも、丁度一ポンドの、以上又は以下を切取るに於ては、 よしそれが、たかが、一分又は一厘ほどの軽重であるとも、いや、 只 髪毛《かみのけ》一筋だけの量目の差を秤皿《はかりざら》の上に生ずるに於ては、 其方の命は無いぞ、其方の財産は悉く国庫に没収《もっしゅう》いたすぞ。」

グラシャーノー
  「今ダニエルさんだ、成程、今ダニエルさまだ! どうだ、罰当り、降参したろう!」

(シェイクスピア『ヴェニスの商人』坪内逍遥訳 第4幕第1場より)

まるで落語でしょ。同じ頃、大隈重信が演説した録音も、似たようなもんです。当時の人が声に出して喋るとどうしても芝居がかっちゃう。なぜかというと、日本語がそういうものだからという大きな話になるんですね。

『古事記』は稗田阿礼(ひえだのあれ)が覚えたことを太安万侶(おおのやすまろ)が筆記した。じゃあ稗田阿礼はどういう風に記憶してたんだろう。「天地の始めの‥‥」っていわゆる散文で覚えてたんだろうか。散文で覚えると忘れる。リズムをつけて覚えたのを書いて日本語の文章が生まれるわけです。だから日本語の文章ってそもそも口語なんです、しゃべる言葉。ところが漢文というのがもう一つあって、公式文書は全部漢文なんですね。それが混ざって、和漢混淆文というのが鎌倉時代に生まれるわけです。

日本語は常に書き言葉と話し言葉の2つが重なりあって動いているんですね。こなれてくると、みんな話し言葉になっちゃうというのが日本語の悲しい宿命で、江戸時代の公式文書はあまり漢文じゃないんです。候文(そうろうぶん)という、漢文がもっと崩れて和文になったもので、一応日本語のイントネーションで読めるもの。それが明治になると、旧幕時代のものは古いってことになる。じゃあ書き言葉とは違う口語体の文章をつくろうということになって、三遊亭圓朝まで使って口語文ができる。小説はそうでもないけれど、演劇で日本の口語文の悲しい運命というのがおこる。

現代日本演劇の歴史、女優の誕生

大笹吉雄さんという演劇評論家の『日本現代演劇史』という本は、明治の歌舞伎から始まる。そこからが〝現代〟なんです。その第1巻の帯に、井上ひさしさんが「信じがたいことに我々はまだ国民的演劇を持っていないんである」というようなことを書いている。日本の演劇の種類ってやたら多い。でも国民的演劇はというと、代表的な例がない。歌舞伎だって、皆そんなに観るかといったらそうでもないし、現代の演劇でもない。でも英国だったら国民的演劇といえばシェイクスピアだし、アメリカなら「アメリカを代表する演劇はミュージカルだ」と言えばそれで通る。ところが日本にそういうものがないんですよ。

演劇の分け方は色々あるんですけど、一番簡単なのは商業演劇という枠があって、これはアメリカでいえばブロードウェイ。また、新劇っていうのがあって、イギリスにもアメリカにもカテゴリーはありません。それから、アングラというのがありまして、これはオフブロードウェイですね。さらにアングラから分かれて小劇場。

商業演劇と他のものがどう分かれるかっていうと、興業資本が絡んでるかどうか。興業資本が絡んでると商業演劇と言われてそれが、いわゆる普通の演劇だったんです。だって新劇は大きい劇場でやらないし、劇場を持ってませんでしたから。新劇は公民館を借りて全国まわってたんですけど、現代演劇史とか、近代日本演劇史とは、ってなると大体新劇の話になっちゃう。なぜかというと、西洋の理念を取り入れた新しい演劇を作るっていうところで新劇があるから、新劇の歴史をたどれば日本の演劇史ができるだろうっていう風になるんですね。

そのほか、「新派」、「新国劇」もある。全部「新」がつく。じゃぁ新に対する旧は何かといったら歌舞伎なんです。歌舞伎がどうしたら近代演劇になるかという試行錯誤のようなものが現代日本演劇史なんです。だから明治の歌舞伎から始めないと現代演劇史は語れないんですね。

坪内逍遥は『小説神髄』という本の中で、当時のベストセラーの『八犬伝』について、「みなさん『八犬伝』をご存知だと思いますが、あれを小説と思ってはいけませんよ」と、悪い見本として引き合いに出す。そして演劇において『八犬伝』にあたるものが、歌舞伎なんです。新しい小説作りましょう、ということで言文一致の近代小説が生まれるのと同じように、歌舞伎じゃダメだから新しい演劇作りましょう、というのが近代演劇なんです。

「新派」っていうとお涙頂戴もので、『金色夜叉』とか『婦系図』とかになる。「新国劇」っていうと、早稲田の学生だった澤田正二郎という人が学生の時に『勧進帳』やって、東京じゃ受けなくて、大阪行って立ち回りの芝居をやったら受けたというので凱旋して東京に戻って、できた。この2つが、以前あったものをどうすれば新しくできるか、ということをやっているんですね。

「新派」って女形がやってたんですよね。歌舞伎の女形と新派の女形はどう違うかというと、死んだ6代目中村歌右衛門が「新派に出ると、つけまつげつけられるの」って嬉しそうに言っていたという。つまり、新派はそういう現代性があって、顔は白塗りで芸者が出たり、つけまつげをしたり、カマトト風の喋り方をする。喜多村緑郎という「新派」の名女形の人の音源が残っていて、『婦系図』の「別れろ切れろは芸者の時に言う言葉……」をそういう風にやっている。で、「新派」が女の芝居ばっかりやっちゃったから、「新国劇」は男の芝居をやるようになった。そこへ、「どっちも古いものを今に持ってこようとしてるんじゃないか。そうじゃなくて」と「新劇」が出てきて、やっとシェイクスピアが出てくる。明治の近代演劇の最初は、シェイクスピアと、なぜかイプセン。

明治40年頃と明治20年頃

明治40年頃は不思議な時代で、一番有名なのは、西大久保の女湯で覗きをしていた男が欲情してしまって、帰りにそこから出てきた女の人を絞殺しちゃった事件がありまして。池田亀太郎かな、その人が出っ歯だったから、覗きのことを俗に出歯亀っていうのは、その人から出てるんですけどね。で、つまり明治40年には、女優が誕生して、出歯亀も誕生する。それから、写真による美人コンテストもこの頃が最初。さらにもう1つ、警視庁が猥褻文書を取り締まって、やたら押収した。なぜか、女とセクシャルなものが登場しちゃうのが明治40年頃なんです。田山花袋が、女が寝ていた布団に体をうずめて泣く『蒲団』という自然主義の小説を書いたのが明治40年で、42年になると森鷗外が、『ヰタ・セクスアリス』っていう小説を言文一致体で書くんですね。性的人生という意味のラテン語です。

明治40年というのは口語体が出来上がって、女が出てきて、セクシュアルで、というとんでもない年なんです。で、そういう年に坪内逍遥が『ハムレット』を上演している。そう考えてみると、近代ってとっても変だと思います。

坪内逍遥はその前、明治20年頃に『ジュリアス・シーザー』を『自由太刀余波鋭鋒(じゆうのたちなごりのきれあじ)』ってタイトルで訳したんですね。「自由」に「ジュリアス・シーザー」が掛けてあるのかもしれないですが、自由という文字が登場するのには時代的な背景もあって、当時は自由民権運動の真最中なんです。それで、悪い政治家を倒すぞ、的なものになるんですが、後に訳し直された『ジュリアス・シーザー』とはまた、文体が全然違うんですよね。口語文がまだ出来ていないですから。

明治20年頃というのが、これまたエポックメイキングで。自由民権運動があり、初代三遊亭圓朝の『怪談牡丹灯籠』の速記本が出て、二葉亭四迷が言文一致をやるのも、その頃です。ついでに明治20年は、夏目漱石や尾崎紅葉や、幸田露伴や、正岡子規がだいたい20歳なんです。明治元年生まれだから、数えていくとそうなる。そうすると、人の成長が見えてきませんか。夏目漱石ぐらいから、生まれながらの近代人なんです。だけど、やっぱり落語が好きなんです。娯楽がそういうものしかないから。

だから明治という時代には、その前の江戸時代的なものも、その後の新しいものも入っている。夏目漱石は英文学者ですけれど、もとは漢文学者になりたかった。でもお兄さんに、そんなもんじゃ食えないと言われて、英文学に行った。それが近代という時代なんです。そういう時代を経て、言文一致体が出来上がるのは、明治40年ぐらい。それでやっと夏目漱石が『吾輩は猫である』を書き、島崎藤村が『破戒』を書いた。大体そこら辺で口語体の文章が出来上がるんです。

私は『おいぼれハムレット』という落語を書いて、それはハムレットが80歳過ぎてたらどうするんだ? という話です。というのは、あんなに悩んでいる人間、現代なら年寄りだけだろうなって思って。だから半分ボケちゃっている爺さんをハムレットにした。それに単行本用の解説を書いたんですが、ただじゃ済ませたくないので、大正2年に死んだ明治の文芸評論家と言う肩書きを勝手に作って、明治の人間が見た『ハムレット』はどういうものなのか、という解説を書きました。それでいくと、ハムレットって仇討ち劇ではない。明治の人間からすると、仇討ちの前で一所懸命悩んでいる人の話なわけです。

日本の歌舞伎では、そういう人はいない。ハムレットも父の仇を狙う人だけど、本当にする気あるの? っていうところで延々と悩むわけです。叔父のクローディアスが父王を殺したか見抜くために芝居を見せて、それで動揺したクローディアスが礼拝台で神に祈るのを見て、今なら殺せると思う。だったらさっさと殺せばいいのに、神に祈っているときに殺したら相手は天国に行っちゃって仇討ちにならない、とかわけのわからない理由をつけて先延ばしにするんです。そういう芝居って、日本にそれまでなかった。仇討ちのために散々苦労を重ねましたという話はいくらでもあるんだけれど。

日本の近代演劇と様式

日本の近代演劇は、シェイクスピアから始まる。じゃあ、そういう芝居で、素直に始まるのか? 始まらない。なぜかというと、芝居をやるために必要な物に、様式というのがあるから。今はあまり問題にしないですけど、昔はみんな様式でやっていた。歌舞伎なんか様式美だから、どこで見得を切るか、バタンバタンってツケが入って、っていうのがある。でも明治の公爵家の話になっている『ハムレット』で、刀振り回してツケ打ちするのか、ということになる。

さらに困ったことに、もともと江戸時代の人間が慣れている芝居は、上演する劇場の座組みに合わせて書かれているものなんですね。座頭役者がいて、二枚目がいて立女形がいて、その他がいて、と。それでいくと、『ハムレット』では、クローディアスが座頭の役なんですね。ハムレットは二枚目の若手の役。で、立女形の役は、オフェーリアじゃなくてガートルードなんですよ。でも、『ハムレット』を読めばおわかりのように、ガートルードってあまり、しどころがない。日本のそれまでの芝居だと、「ちゃんとしてくれないと私の役が立たない」って役者が文句言うから、そういうことは起こり得ない。そういう構成で出来ているものを、これが歌舞伎なんだな、芝居なんだなと思って観てる。それが崩れたら、「何なんだこれは」となるわけです。そこで、いろんな人が試行錯誤しましたが、話をいきなり飛ばして、戦後の話をします。

戦後の日本の演劇

戦後にシェイクスピアをやるのは新劇です。新劇の演目は「外国にはこういうものがありますよ」という紹介だから、シェイクスピアも真面目にやる。だから昭和30年代の新劇のシェイクスピアは本当におもしろくない。昭和40年を過ぎた頃に出口典雄さんが、今はない渋谷の東京山手教会の地下の「ジァン・ジァン」という小劇場でシェイクスピアの芝居を全部やったんです。その時彼が「シェイクスピアはおもしろい」と言ったのが記事になったぐらいだから、おもしろいと思われてなかったんですよ。

シェイクスピアはおもしろいという話になって、やっとその後に、蜷川幸雄さんのシェイクスピアが出て来る。蜷川さんは役者に「台詞をうたうな」という。なぜ「うたうな」かというと、うたうと旧劇になっちゃう。台詞まわしって歌舞伎だから。それでやっちゃうと内容がこもって、心がこもっていない、それで一通りの芝居になっちゃうからそれは嘘だ、と。

今は変わってるかもしれないけど、20年ぐらい前に小劇場の『真夏の夜の夢』を観に行ったら、何を言ってるのかサッパリわからなかった。つまり上演時間を2時間半とかに収めるために、膨大なシェイクスピアの台詞を早口で処理するんですよ。別のもう少しちゃんとした『ハムレット』も観たけど、これまた、なに言ってるかわからない。その『ハムレット』は、演出家がイギリス人だったんですね。

イギリス人の演出家で、早口、というともう理由がわかります。だって、シェイクスピアを日本語で普通に言ったら英語のテンポじゃない。英語なら ”to be or not to be ”で済む、それが日本語だと、「ながろうべきか、死すべきか、それが問題じゃ」になるからすごく長い。そんなのシェイクスピアじゃないって、イギリス人の演出家なら思いますよね。そうすると英語のテンポに合わせて日本語をはめ込んでいくから早口になって、何言ってるのかわからない。

日本語の節回し

アールヌーボー時代のフランスの女優のサラ・ベルナールがレストランのメニューを読み上げて人を感動させたっていう有名な話があります。あれはフランス語がそういうニュアンスを持っていて、そこに感情を込められたから、フランス語であるメニューを読めば感動させられるんですよ。だから、やりようによっては「ハンバーグ定食、味噌汁、2500円」っていうので、人を感動させることだって出来るんですよね。そういう節回しを持っていれば。

だけど日本の演劇はそれを捨てちゃったんですね。なぜかというと、節回しをつけると、旧劇の芝居っぽくなっちゃうから。新しいものを作らなきゃいけないのだから、それはダメだという方向になったんですね。それでどういう方向に進んでいくかというと、声に出した時ひびきの良くないフラットな日本語で戯曲は書かれるべきだ、という方向に変わっちゃうんです。そうすると劇作家の書いた理屈がストレートに伝わるから。でも、音韻性のない台詞が演劇の中心って変なんですよね。だって、演劇って台詞で出来てるものだし、台詞って胸にひびくものだから。

昔のイギリスで、教養ないバーさんが『ハムレット』を見た時の感想というのが素敵でね。「よくもまあ、こんな諺ばかり集めて芝居を作ったもんだ」って言ったんですよ。シェイクスピアの書いたハムレットの台詞が1行1行立ってるから、全部諺のように響いたんですよね、意味分かんないけど。それぐらい演劇にとって言葉、音っていうのは大切なものなのに、それをやると歌舞伎の音に近づくからやめようね、という方向にいくんです。

歌舞伎の女形の「そうじゃわいなあ」って言うのをやめて「ねえ、違うの」ってやれば現代劇だけど、全部そうできるわけじゃない。明治や大正だったら、芸者たちが当たり前に歩いてるから、彼女たちがカワイイ女だっていう風に言えばそれは通るけれども。そうじゃない人たちはどうしゃべらせるんだといったら、しゃべる日本語がない。それで言文一致体というのが登場するんですけどね。言文一致体は登場するけれど、これが会話っぽくなっちゃったら、落語になってしまう。

夏目漱石はそこら辺強いから、『吾輩は猫である』も『坊っちゃん』も落語にしちゃった。『坊っちゃん』はおもしろいから読んじゃうけど、結局何の話だったんだか、よくわからない。それは話術というか、言葉の使い方が上手いから出来ちゃった。『坊っちゃん』に何か理屈はあるのかっていうと、探すのは難しい。明治の人間って全部勢いで進むから、説明できないようなことも平気で書いている。それが明治なんですね。試行錯誤の時代だから、何でもありで、荒っぽくても通るんです。

わかりやすさと難しさ

でも、冷静になって考え始めると、じゃあどうしよう、となる。突然演劇的流れが止まってしまうんですね。だから新劇は、ホームドラマみたいなのを舞台でやったりもしました。日常会話だと演劇は成り立つんです。ところが、シェイクスピアみたいな時代がかった物だと、どういう日本語を使えばよいの? となる。坪内逍遥訳で今シェイクスピアを上演したら、わからない人がいっぱいいると思うんです。だから福田恆存とか三神勲とかいろんな人が翻訳して、小田島雄志さんの訳がほぼ定着したみたいですけど、今度はわかりやすいと、かえってわからない。何言ってるんだかわからないけど難しい重量感のある言葉が来たぞ、と思って受けつけると、ここはそういうシーンだとわかる。難しい方がいい翻訳というのはあるんです。

典型的なのは聖書。宗教の経典ってわかるものじゃないんですよ、信じるものだから。たとえば聖書の「ヨハネによる福音書」の最初って、古い訳だと「太初(はじめ)に言(ことば)あり」ですよね。何言ってるのかよくわからないんだけど、叩き込まれると、そうなのかと受け入れるしかない。それを現代文にして「初めに言葉がありました」とわかりやすく言われると、「へっ!? どこに?」となる。わかりやすくすると、逆にわかりにくくなるという悲しい運命もあるんです。

シェイクスピアの芝居というのも実はそのようなもの。だって、半分難しい言葉じゃないと、オフィーリアはどうしてハムレットに嫌われて破局しなきゃいけないのかがわからない。結構強い言葉で言われるから、意味じゃなくて、言葉で殴られたような感じがするから、オフィーリアはショックを受けるわけです。何を言ってるかわかるように書いたら、絶対に今のオフィーリアは反抗します。「あなたはそう言うけれどもね!」って。

もはや今の若い歌舞伎役者は古典をやれないと思う。たとえば『熊谷陣屋』とか『菅原伝授手習鑑』の寺子屋とかって、熊谷の心理とか、松王丸の子供を殺さなきゃいけない男の心理ってわかります? って言われたってわかんないですよ。しかも恐ろしいことに、心理がわかってもどうしようもない。それをせざるを得ない人間の悲しさを表現するものだから、心理を追ったってしかたないんですよ。

だから、私たまさか義太夫の会で解説なんかさせられるんですけど、話を説明するとホントに面倒臭い、複雑だから。説明したってしようがないので簡略にして「まあ、話の筋はいろいろあるんですけど、最後に主人公のお爺さんが自分の娘を殺したということを知って大泣きするんですね、一緒に泣いてください」って言って終わりにした。そういう言い方したら「本当に泣いちゃった」って言うんですよね。つまり意味をひろうのでなく、表現と一体化したから、泣くところに同化出来た。日本語はそういうものなんですね。

芝居がかった言い回しと情緒

黙阿弥が、江戸の市井をちゃんと描写して日常会話をリアルにやったのがある。今の歌舞伎役者、特に若い人には難しいと思う。どうしてかというと、話すこと自体が既に半分芝居がかかっているから。芝居がかっているというのは、情緒的にひびくってことなんですね。「お前どこへ行くんだ?」って言うのも、「お前さんどこへ行きなさるさ」っていうぐらいに作っていかなきゃいけないけど、今の人って情が薄いですからね。そっちへ行かないで、台詞に書かれた通りのことをやる。黙阿弥は黙阿弥のメロディラインを持っていたし、江戸時代の人もそれに似たメロディラインを持っているから、黙阿弥はそういうセリフが書けた。

蜷川さんの芝居で、清水邦夫の『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』っていうのがあります。北陸のデパートに大階段があって、夜中に男たちが集まって宝塚のようなレビューごっこをやるという、結構、グロテスクなイントロで始まる。恐ろしいことに、それを初演当時やったのは新劇とかアングラ系の人で、グロテスクになれない。真面目にやってるから、ちっともおもしろくない。ところが、更に怖いのは、その後に30人のジュリエットが還ってくるんです。客席から、歌劇団のOGがトランク持って出てくるんです。30人も。

それこそ、名のある人から、そうでない人までね。その人たちの存在感が凄いんですよ。出て来たのを見ただけで、涙が出そうになるくらい。やっぱり、演技の質とか何とかってあるけれど、意味を追っていると演劇にはならない。意味じゃないものを表現しないと、意味が伝わらない。その初演の『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』の最後は、久慈あさみと淡島千景という宝塚のOGが登場します。久慈あさみが男役のトップで、淡島千景が娘役のトップだったんですよ。そのふたりがロミオとジュリエットをやるんですよ。

思い出しただけで涙が出そうになるくらい、凄い! 大階段があって、その大階段から、久慈あさみが、やっと男装の姿を現すんです。もうおばあさんですよ。でも、10代の少年なんです。劇的に。本質的なロミオがそこにあるんですよね。宝塚出身だから、台詞の言い方も若干、時代かかっていてね。そこの部分がすごくいいんですけど、あんなにいいロミオを見たのは初めてだと思いましたね。こうして話しているうちに泣いちゃうくらい、情と品にあふれている。そういう芝居ってあんまりないですよね。出てくるだけで、演劇って、日本の場合はもう決まっちゃうんですね。

物語と書き言葉

ここまで、すごく大きな風呂敷を広げているんですけど、日本語には書き言葉と話し言葉の2種類があるってところから、実は始まっているんです。で、明治に新しいものを作ろうとした時、話し言葉と書き言葉をどう折衷させるか、っていうことが、うまくいったのかいかなかったのか、という問題があるんです。

『平家物語』というのは、「書き言葉」と「語りの言葉」がドッキングしたものですけど、平曲っていう、平家琵琶で語るための台詞、脚本で、後に文字化されたものなんですよね。平家琵琶を語る人って盲目の琵琶法師だから、テキストが読めない。でもなんで平家物語を語れたかっていうと、漢字だらけの別バージョンの『平家物語』という、文字のテキストがあるから。これが、読みにくい! 漢文に平仮名が混じっていて、しかも当て字たっぷりで。でもそれで一応、物語を語れる「書き言葉」が出来たんですけど、明治になると、それがもう全部、古い言葉になっちゃう。そういうわけで、新しい演劇を作るったって、大変なんだよねという「前史」でした。

薩摩琵琶 『城壁のハムレット』

先ほどお話しました、薩摩琵琶版の『ハムレット』のDVDを見ていただきましょう。

(『城壁のハムレット』薩摩琵琶の音曲始まる)

~曇天に風烈々と、吹き募り、北斗は冴えて
雲間より、凍てる光を投げつける。
夜、沈沈(しんしん)と更け行けり。
鬱々たるは思春の情(こころ)。横顔昏(くら)きその人は、
デンマークなるエルシノア、
王子たる身のハムレット。迷い迷いて佇めり。
雲はおどろに垂れ込めて、
巌を襲う波飛沫(なみしぶき)、雪とも乱れ砕け散る。
父上、御無念如何(いか)ばかり。
知るに悔しき人の世、無残。
恨みは深き孤影(ひとりかげ)。母なる妃(きさき)は何思う。
奸智に長けた叔父王の、巧みの言葉に惑わされ、
邪淫の床に堕ちたるぞ。
脆きもの、そは女なり。
母なる人の温もりを、慕ってつらき胸の内。
血気に逸り急げども、血糊の夢に
魘(うな)されて、鈍る心の不決断。
安穏に堕し、事も勿(なか)れとやり過ごす。
昨日に同じ今日の仕儀。
このままあるか、あらざるか、
それが思案の第一と、うなずく
ばかりの現世(うつしよ)に、戯れてまた戯れて、
作り阿呆が何故に泣く。
風来たり、厳寒、黒き闇満ちたり。
(作・橋本治)

これを演奏した友吉鶴心は、鶴田錦史という女性の薩摩琵琶奏者の弟子筋の人です。鶴田錦史という人は、武満徹と組んで、薩摩琵琶で現代音楽をやってた人です。その名前くらいは知っていたけど、薩摩琵琶をちゃんと聴いたことはなかったから、まず『雪晴れ』という赤穂浪士の討ち入りの引き揚げを語った曲を聴いて、そのメロディラインに合わせて言葉をのせていったんです。意味じゃなくて曲なんですよ、まずは。薩摩琵琶風の曲に合わせない限り、音が乗らないんです。

琵琶はのっぺりしてるから、物語を語ろうとすると長くなる。でも、『城壁のハムレット』は、『ハムレット』のどの場面を取った、というのではない。父王の亡霊を見て錯乱気味だったハムレットが、深夜に一人城壁に上がる心象風景なんです。

石川さゆりがデビュー45周年のリサイタルで義太夫をやったのをテレビで見たら、浪曲とか河内音頭っぽくて、時たま義太夫になるんですね。どっちも関西発祥の三味線音楽だからっていうのはあるんだけど、そうなる理由は、文章が現代語だから。現代語と三味線は合わないんです。曲の中で「ナントカでデビューしました」っていうのがあるだけど、それをそのまま三味線にのせると、ひっかかるところが何もない。「デビューしましたのはナントカで」という風にひっくり返せないと、三味線がひっかからない。言葉の音も楽器の音も、音なんですよ。その音の特性をひろわない限り上手くいかない。

ということを、あまり誰も問題にしないよね? ということで、私が初めて書いた小説が『桃尻娘』という、女子高校生の一人称のもの。私は話し言葉で入っちゃった人で、どうしても日本語の中心に話し言葉があって、漢文的な文脈はその裸の話し言葉の上の衣裳だという認識がないので、ずっと腹立たしいなあと思って、こんなことばかりやってるんですよね。

伝統音楽、民謡

大正のはじめぐらいに、ある作曲家が銭湯へ行って気がつくんですね。50歳以上の人には「端唄」や「小唄」のような湯船で口ずさめる歌があるけれど、30歳以下の人にはそれがない。気がついた作曲家は、民謡を作ろうとするんです。近代文化史の中で、山田耕作とか、新しく近代的な音楽を作るっていう流れの他に、民謡を作ろうと考えた人たちもいたっていうことって、ほとんど問題にされないでしょう? たとえば、野口雨情っていう童謡の作曲家は、童謡以上に日本全国で民謡を作っている。「ちゃっきり節」(町田嘉章作曲)も、静岡県の日本平のPRソングとして作られたものです。PRソングと民謡は無縁と思うかもしれないけど、それが一番根付いた歌だったんですよね。

20歳ぐらいの頃、日本の唱歌とか叙情歌をオペラ歌手が歌っているのを聴いてびっくりしたことがあります。こんなに叙情性を切り捨てて、ドリルで穴開けるみたいに歌うの? って。つまり皆、喉からでしょ? でも日本語は腹から出るんですよ。シャンソンも腹から出すんですよね。唱歌では喉から声を出すもの、になっちゃって、声を出す、強く出す、前に出すことばっかりになっちゃうから、表現がモノトーンでつまらなくなって、それで、つい意味を語るわけです。そこに情感込めろといっても、そもそも情感のない出し方をしてるんだから無理ですよね。

銭湯で端唄か何かやるとして、銭湯だから馬鹿でかい声で歌うわけにはいかない。だから、あんまり口を動かさないでムフーって転がして口ずさむと、いかにもリラックスした音になる。「何をくよくよ川端(かわばた)柳 焦がるるなんとしょ~」というのがあって。これ「東雲(しののめ)のストライキ」って言う変な結びで終わる「東雲節」って言うんですけど、遊女がストライキしたっていう歌なんです。社会派ソングなのにそういう日本的な歌になっちゃうんですよね。でも、その方がリラックス出来るじゃない? 歌うことでリラックス出来るっていう重要な効能があったんですよ、民謡や日本の伝統音楽には。で、そういうものを作ろうとしたんだけど、新劇と同じで、西洋由来のものに負けちゃうんですよね。

蜷川幸雄さんの芝居

蜷川さんの芝居のことでまとめたいと思うんですけど、蜷川さんの芝居で一番近いものは生け花なんですね。舞台装置は花器、役者は花なんです。蜷川さんて、他人の書いたセリフをいじらない人なんです。ここもうちょっと変えたほうが言いやすくなるし、リズムも出るのに、ってのがあっても変えない。時間の関係でカットすることはあってもね。そういう人だから、フラットになっちゃった日本語をしゃべるということを、もはや責苦というか、戒めのように自分で引き受けてるのかもしれない。それをやればつまらなくなるっていうのが、小劇場、アングラをやっていた蜷川さんだからわかってるわけですよ。だからこの花器の中で、花である役者たちはどう輝くのか、勝手に考えて動け、なんですよね。

でも、そういう仕掛けを作る人っていうのは、もう居なくなったかな。ある意味で蜷川さんのは、変則的な国民的演劇だったんですよね。国民的演劇に戻そうって感じで、でもどう戻したらいいのかわからない。違うところに行っちゃったものをもう一回こっちに持ってこようっていうのがあって、歌舞伎の演出だけはやりたくないって言ってた蜷川さんが、最終的には歌舞伎もやっちゃったのには、そういうこともあるんだと思います。

こういう話を聞かされると、じゃあ私たちはどうすればいいんだってことになるんですけど、それはもう決まっている。「どうすればいいんだ」って思っちゃった人が自分で考えるしかない。だから私の知ったことではない、というところで、おあとがよろしいようで。

橋本治さん、糸井重里、河野通和のトーク

河野:
橋本さん、ありがとうございました。僕が初めて橋本さんと糸井さんの対談本を手にしたのが、今を去ること40年近く前。今日はこの二人の話を聞かないと、締めくくれないなという思いがありましたので、最後に糸井さんにも登場してもらいます。

糸井:
たぶん、みんな違うこと考えてて、「おもしろかった」って言ってるんじゃないかな? 橋本君は自分の話をする人だから、自分はこうしてきたって話をするんだけど、聞いてる側は、それを自分に重ねるから、変容するわけですよね、それぞれにね。それこそ橋本君はしゃべり言葉で始まったけど、僕はもともとがコピーライターだったんで、しゃべり言葉を、どういうふうに捉えるかっていうところとか。

橋本:
コピーライターのコピーって、しゃべり言葉のようでしゃべり言葉じゃないんだよね。

糸井:
書き言葉なんですね。いわば、新しい書き言葉というか。

橋本:
でも書き言葉なら、後を続けなきゃいけないけど、コピーって後が続かないんだよね。

糸井:
そう、止めていい。だから、5755のところをしゃべっただけみたいなことをやって、あとはお渡ししますっていうことをする。そのことも興味あってずっと聞いてたし、ことばについて明治時代の人が、どう七転八倒したかも。

橋本:
明治の人、尊敬してないですよ、俺(笑)。

糸井:
「道具がないときはこうやって料理作るよね」っていうような感じで、たぶん苦労したんだと思うし、外国にいい例があれば、これは都合がいいやと思って持ってくるし。

橋本:
外国のものを持ってこないと、日本が遅れたままなんだと思ってたんですね。

糸井:
ああー。その根っこにある欲望みたいなもの、歌舞伎に対して新劇があったとか、新派があった、新国劇があったっていう、「新」を、どうしてそんなに人は求めたんだろう。

橋本:
今だってみんな新しいもの好きじゃん。次のトレンドは、って。

糸井:
まったくそうだ。求めない時代っていうのはあったのかしら。

橋本:
ないでしょうね。ただ求め方が緩やかな時代はあったでしょうね。

糸井:
あーそうか、明治時代はものすごく求めたってことだよね。今もすごくそうなんだけど、「新」のヒントがなさ過ぎて、ドタバタしてますよね。

橋本:
日本髪ってさ、実はあれ男髷だっていう理解あんまりないでしょ。

糸井:
ないない。

橋本:
ずっとさげ髪でさ、十二単で働くの面倒だから途中で折ったりしてるわけ。最初は出雲阿国が男装して髷を結って、髷はちょん髷の髷で、春日局が武家の女なんだから、いざというときに動きやすくっていうんで、髪を結わした。ところが、その時代は結髪技術が発達してないから、歌麿の浮世絵みたいに髷を高くすることができなかった。江戸初期の絵だと髷が高くなくて、後ろで髪をまとめるから髱(たぼ)って言われる部分が異様に長い。そんな流行があるんですよ。

糸井:
初めは、春日局が、いざという時のためにまとめたのが、形がいいと思ったわけだ。

橋本:
でも、春日局が「いざという時に」って言ったっていうのは、もしかしたら言い訳で、「私パンクやりたいのよね」、だったかもしれない。それが「かっこいいね」ってなったら、なんか取り入れたいわけでしょう。

糸井:
しびれたわけだよね。そう考えると、「新」を求める今の人たちの悩みっていうのは、材料がありすぎて、選び放題に見える苦しさの中にいるっていうことかな。

橋本:
はい、はい。あとネットが悪いですよね。瞬間にくるから。だって江戸時代なんて通信手段ないじゃない。ここでいうのもなんですが(一同笑)。

糸井:
選び放題になっちゃったおかげで何していいかわからなくなった時に、暇だからかきまわしたっていうのが盛り髪だよね。

橋本:
でもどっちかというと、髪を上げたいっていうのがあるんじゃないですか? だって明治になって男はちょん髷切ったけど、女はやっぱし髷捨てないじゃない。大正になってモボ、モガで断髪っていうのは出てくるけど、それまではちゃんと盛り髪でね、髪の毛をまとめるわけですよ。で、日露戦争のころは、二〇三高地って、頭のてっぺんに髷の名残があったの。それが進化して、行方不明っていう髪型ができて、それは髷がないかたちなの。

糸井:
ハハハハ。つまりどう見せるかっていうのは、文章を書く人にとっての表現と同じだから、いわば文体を頭にのっけてるわけだよね。

橋本:
近代化はこっちです、って方向があるから、「まだそれやってるの、古い」って言われると慌てて、じゃあ髷をなくしましょうという。それとおんなじよ。

糸井:
絶えず表現をしてる、ってことを人間はやってるね。

橋本:
うん、ただ、昭和ぐらいまでは川だからさ、進化に向かって流れてるわけよ。平成になったらもう湖なのよ。流れないのよ。

糸井:
水量は多いけどね。

橋本:
だから、ここには川から流れてきた魚がいるが、ここには昔からのナマズが棲んでるとかさ、あっちは海につながってた名残で、なんか変なものもいるよとか、それをあっちこっちやってたりするから、あちこちやってる分には方向というものは出るんだけども、実は本当の方向はない。

糸井:
うん。誰かがすくってきて混ぜてるっていう、混ぜ返し方をしているわけだよな。だけど、ほとんどの今の悩みって、それだよね。人がややこしいとか苦しいとか思ってるのは、ありすぎることが原因ですよね。

橋本:
私、ないからね。あんまり悩まない。

糸井:
橋本君がやってきたことって、全部、材料を買いに行ってないんですよね。ちょっと自虐的に、古典ひろい食いとか言っているけど、ひろい食いってことば自体が、あるものを、落ちてるものをひろうってことだから。

橋本:
そうそう。枕草子の現代語訳をはじめるときなんか、街道をはずれた裏道のゴミ捨て場にあるもので、これ誰も使わないならやってもいいですか? って持ってきたなと思ったの。

糸井:
材料は、あるもの?

橋本:
そう。捨ててあるもの。

糸井:
「新」っていう概念はないの? つまり「新」なんとかにしようとか、ようし俺が何か新しいものにしてやろうとかっていうのは。なっちゃってますけど。

橋本:
それを言わせます?(一同笑)私はね、「新何とか」にすること自体が古典への冒瀆だと思ってるからしないんですよ。変なことはするけどね。

糸井:
そこなんだよ。つまり、新しいことをしようとしてるんじゃなくて、橋本さんがひろって、たとえば米が落ちてた、チャーハンを作った。そしたら橋本味になっちゃうことについては、OKなんだよね?

橋本:
それは知らないもんね。作りゃそうなるさっていうだけ。でも、本当のチャーハン作ると中華料理屋が怒るからケチャップ味のチャーハンにしようかなぐらいのことは考えてる(一同笑)。

糸井:
最初からやってることはずーっとそれだものね。古典っていう題材があって、あるに決まってるものだよと。それを僕はなんかどうしようかな?って言って、自分を通して一回排泄するみたいな。

橋本:
うん、だから『窯変 源氏物語』の時は、

糸井:
「窯変」って言葉ぴったりだったね。

橋本:
うん。『源氏物語』嫌いだって男の人結構多いんですよ。国文学者でも。女の書いてるグダグダした話だから訳がわかんないと思ってるわけ。でもその中に、男の真理というか、男の背中を書いている。だからじゃあ、女を媒介にして男を語るよりも、ストレートに男に語らしたほうが早いなっていうんで、光源氏の一人称に変えちゃった。

糸井:
薩摩琵琶のハムレットでも、みんながああでもない、こうでもない、と長ーいこと遊んでる、”To be or not to be”を、音楽の中の一行に意味を下げちゃったじゃないですか。ああいうところに、僕はしびれるんですよ。

橋本:
「さび」ね。

糸井:
さびか。さびの一行だね。あの後が、前からの歌詞と勢いが全然違って、こう(拳を突き上げる)なり始めるんだよね。

橋本:
泣いていいですよ、ってね。

糸井:
あれ気持ちいいんだよねー。だから前のほうも、そこにもっていくための道案内というか。

橋本:
要するに長丁場、ダレ場ってやつです。ダレ場がずーっと続いていって、そこでカタルシスにもっていくんだけど、今の人はダレ場を書かない。飽きられるから。

糸井:
インターネット以後、ますますそうだよね。そのダレ場というか、景色をまず味わいましょうだとか、歩いて行って家に着くだとか、そこをみんな嫌がるよね。

橋本:
新聞で『金色夜叉』の現代版のリライト(読売新聞連載小説「黄金夜界」)やってるんだけど、熱海のシーンで、貫一が一人で泣くってことまでは一応、踏んだわけですよ。そのあとですよね、尾崎紅葉はその後いきなり貫一を高利貸しにして出すけれども、どうして高利貸しになったかという説明が一言もない。

糸井:
うん、うん。

橋本:
明治の時代だったら、たたずんでる貫一に「どうしたんだい君は、うちの書生にでもなるか」みたいなことになるけど、現代でそれはないし、海に自分のスマホも投げちゃってるから、何もないわけですよ。で、昨日まで文句なく暮らしてた人が、何にもなくなった場合、どうするんだろうって考えて、さまよった末にネット喫茶行って、現金がいくらしかないってところから始まって、2カ月くらい延々とそのダレ場をやった。「こうなって、こうなって、こうなって」っていうのをやらないと、きちんと落ち着かないんですよ。私は昔の人だから。

糸井:
聞いてると読みたくなるねー。今日のお話全体も、そういうにおいがするよね。研究者だったらあんなことしないわけで、作家なんだよね。ここでも小説書いてるみたいなもんなんだよね。

橋本:
そうそう。真面目に研究しないで噓ついてるほうが好きな人なの。だから今日の私の話だって、噓がかなり混じってるかもしれないしね。

糸井:
噓があるかどうかは別として、一人一人を立ち往生させるような話に富んでたね。

橋本:
うん(一同笑)。

河野:
ここに集まっている皆さん、シェイクスピアに関心があるわけで、橋本さん、次にどういうシェイクスピアを使った、悪さをするのかな‥‥と。

橋本:
悪さじゃなくて、まともにシェイクスピアでやりたいこと、1個だけあったんです。だからオックスフォード版のシェイクスピア全集を持ってるんですよ。翻訳をやりたかったの。

河野:
えッ。

橋本:
1個だけ。たぶんやらないと思うけどね。『ロミオとジュリエット』を訳したかった。

河野:
えッ。

橋本:
あの、フランコ・ゼッフィレッリの『ロミオとジュリエット』を観て。本当の10代の少年少女がシェイクスピアの言葉をしゃべれるわけじゃないですか。しゃべってさ、走りながらさ、ドタバタやりながら、恋愛ちゃんとやってるわけじゃないですか。

糸井:
うん。

橋本:
日本にはあの言葉がないなって思ったの。それをテレビでやった時の日本語吹き替えがいかにもシェイクスピア、シェイクスピアしててひどいもんだから、「ああやりたい」と思ったの。

糸井:
やるかもしれないね。

橋本:
どうだろう。面倒くさいからもうやりたくない。だって「落語世界文学全集」って一応、10巻予定だから。

河野:
『おいぼれハムレット』の次が‥‥?

橋本:
『異邦人』です。ご隠居が「これ、ムルソー、挨拶もなしにどこへ行くんだい」って。(笑)「今日おっかあが死んだんです」って言うから、「それは大変だ」って。「でもな、人の死は厳粛なもんだから、そういうもんじゃねぇんだ」って言うと、「昨日かもしれない」って。

河野:
近代人の自我の悩みが溶けていくような話ですよね。

橋本:
重要なのは、落語の世界に神はいないけどご隠居がいるってことですよ。世界文学は神をなくしてご隠居を作らなかった。だから誰も聞いてくれないんだ、話を。

河野:
なんかもう、独立思想家の橋本さんの、すごいひと言を最後に聞いたような気がします。

糸井:
独立思想家って初めて聞いたけど、ちょっといいなぁ。

河野:
なんかそんな感じしますよね。橋本さんにたっぷり語っていただきました。ありがとうございました。

おわり

受講生の感想

  • 昨夜は「ことばの力」の衝撃がたくさんありました。日本の近代演劇よりも伝統芸能や西洋の舞台(バレエ、演劇、オペラ(字幕対応))のほうに親しんでいたため、「日本の近代演劇はことばを歌わせない」に最も愕然としました。

  • ロミオとジュリエットを想い出して涙する
    橋本先生にキュンとしました。

  • 講談か何かのように調子よく流れてくる橋本治節に、ぽかんと口をあけて聞き惚れているうちに、
    あっという間に授業が終わってしまいました。
    「書き言葉と話し言葉」や「日本の演劇がどう発達してきたか」‥‥ぶ厚い知識に裏打ちされた重層的なお話にひたすら酔いしれました。まさに知の巨人による贅沢な授業でした。

  • 坪内逍遙が自分で翻訳して朗読した『ヴェニスの商人』の録音を聞かせていただきました。あんなに思い入れたっぷり、芝居っけたっぷりに朗読しているなんて、驚きました。坪内逍遙の印象が変わりました。